「出会い自体」

 

 私は当時通院中の大病院に疑問を感じていた。担当の若き医者もさることながら、きっと主導層の問題であろう、と睨むにいたっていた。要は、さまざまな国の医療制度を垣間見て来た私にすれば、わが国の医療制度は時代にそぐわなくなっている、と断言できる。そのしわ寄せが、患者に向けられている。そうとは知らずに、躍起にされている医療機関の下部層に向けられている

 今にして思えば、担当の若き医者は、若き頃の私のような心境であったのかもしれない。庭に国旗掲揚台を作り、日の丸をへんぽんとひるがえしていた頃の私だ。躍起になって相手のことを考えているつもりで、何かれとなく押し付けていた。

 その若き医者は、再訪した私の顔を観て驚きを隠さなかった。その表情通りに真剣であったのかもしれない。「生きて現れるとは思わなかったのでしょう」との私の質問に、大きくうなずいていた、と記憶している。

 彼はいつも、コンピューター画面の数値をにらみ、「油切れ」と読みとると機械に油をさすように、薬の配合をした。その薬や配合に疑問を抱いた私の意向を無視した。しかし、彼は正直であった。それは、最初のマクロビアン・半断食道場の翌日に知った。

 コンピューター画面をにらんでいた彼は動揺した。コンピューター画面から視線を看護婦に移し、口早に指図した。それは血液を(凝固しやすくするように)ドロドロにするための点滴の指図であった。私は質問をして「今の状態で私が怪我をし、出血し始めたら止まらない」状態であったことを知った。しかし、彼は一切、私には「この間に、何か思い当たるフシはないか」などの質問を投げかけず、投薬設計を変更した。

 この間に、その前日まで1週間、伊勢での半断食道場で、血液を綺麗にする修行をしていたが、聴こうとはしなかった。そして、それまで次第に増やしてきた血液をサラサラにする薬・ワーファリンを断ち、3日分のビタミンKを追加した。それ以降、私は病院を替えたが、今もワーファリンを用いていない。

 以上は私の記憶だが、「記憶と記録はずいぶん異なるものだ」が私の体験だ。