鳥インフルエンザ

 北坂さんは、ひな鳥を岐阜県から仕入れている。そうと知った時に私は、岐阜県が民家で鶏を飼うことを禁じていたことを思い出した。岐阜県は養鶏業が主要産業の1つである。万が一、民家で飼っている鶏が、野鳥から鳥インフルエンザをうつされたらどうなるか。風評被害を恐れてのことだろう。

 そのようなわけで、私は鳥インフルエンザを話題に出した。北坂さんは、「鶏の何たるかを知りたくて」平飼いも試みている人だ。その養鶏は、私の目には「鶏の人権を尊重しようとしている)ように映る。だが、それは鳥インフルエンザ対策上では疑問符が付くように見える。要は、覚悟を要する養鶏法だ。

 鳥インフルエンザといえば、わが国ではたしか京都府から問題が生じており、その対策前線で活躍した人を、活躍の帰途、わが家に招いてねぎらっている。それは、対策のあり方に私は疑問や矛盾を感じていたので、それを質したかったからだ。そして「案の定」と思わせられている。行き着くとまで行き着かざるを得ない愚かな対策である、と見た。

 要は、野生の世界では、鳥も菌も互いに切磋琢磨して強くなりあい、鬩ぎ合い、耐性を強めている。養鶏場では、耐性を持った鶏まで皆殺しにする方式で風評被害を防いでいる。この間の落差を次第に広げている。とても心配だと語り合った。

 こんなことを思い出しながら、北坂さんと意見を交換した。

 岐阜県が、今も民家で鶏を飼うことを禁じているとすれば、それは今も産業主義に汚染された「基本的人権の侵害」状態が続いている、と言わざるを得ない。あえて言えば、共にエネルギー問題だが、原発問題と似たところがある。

 その心は、各戸の自給自足する力をそぐ意識の政策であり、行き着く先は見えている。