夫婦ゲンカ

 

 妻は随分庭仕事に時間を割いたようだ。温室仕事だけでなく、ダイコンとニンジンの畝の整理(いつでも仕立て直せるように)を済ませていた。レタスやオクラなどの畝の草抜きや、ハーブ類の苗の植え付けにも時間を割いていた。だが、それを褒めたり感謝したりできないのが私だ。

 もちろん帰国翌日から、まずニンジンの跡を畝に仕立て直し、次の日に残っていたハーブ類の苗を植え付けるなど、妻の努力を活かしている。

 温室の掃除もきれいにできていた。だが、義妹にあげようと思い、幾つものポット仕立てにしておいたチュウゴクホウセンカの苗を、あげ忘れていた。そうと「チビ」で知らせると、妻は「ゴメンナサイ」と、謝りに出てきた。

 温室の水やりも妻は前日までしてくれていた。そこで、カマ仕事を終えてから当日の水やりをしたが、妻が見落としていた植木鉢を見つけた。それは、水替えの手間をしばらく省けるようにしておいた大きい方の水槽周りの幾つかの鉢だった。それは水槽の遮光用植物の水やりのことで、モミジの鉢植えが1本枯れかけており、ツタの鉢植えが枯れていた。そこで、「チビ」で2度目の呼び出しをした。

 妻は、枯らしたツタの鉢植えについて抵抗した。枯れていたから水をやらなかった、との主張だ。私が期待していた反応は、また「失敗をしでかしていましたか」との応えだったが、そうはいかなかった。それどころか、妻は折れず、屁理屈をこねた。だが、その過程で、ツタが完全には枯れていなかったことに気付いたようだ。

 このツタの鉢植えは、私が出発するときに、枯れかけていたことは事実だ。だから、水をタップリ与え、鉢受け容器にも水を溜めておき、旅行に出た。その溜めた水もすっかり蒸発したようで、干上がっていた。

 恐らく妻は「枯れている」と見て取り、一度も水やりをしなかったのだろう。

 でも、追い詰めはしなかった。だが、妻はすぐには温室から離れようとせず、周辺をうろついていた。その過程で、私が小さい方の水槽の掃除を済ませていたことに気付き、「キンギョちゃんはどこに引越しですか」と聞いた。妻はその行方を確かめた上で人形工房に引き揚げたが、「何かあれば、チビちゃんに知らせてください」と言い残した。そこで、私は腹の虫がまだ静まっていなかったようで「いつからチビをビちゃんに替えたンだ」と叫んだ。

 ほどなく好機が巡って来た。シャベル仕事をする段になって、3つあるべきシャベルが1つしか残っていないことに気付かされた。妻にチビで、3度目の呼び出しをかけた。妻は次々と(私が使い込んだ)使い勝手が良いシャベルを取り出し、作業に当たったのだろう。少しウロウロしていたが、2つとも見つけ出して収納場所に返した。そこで、(逆さまだ)と言って、所定の置き場にキチンとおさめて見せた。そのうえで、その1つを手にとって私はシャベル仕事に移ったが、「案の定」見失ってしまい、妻には知られたくない事実を1つ増やした

 もちろん、シャベル仕事をするだけなら、人形作りに没頭していた妻を呼び出したりせずに、残っていた1つを用いてできることは分かっている。そして、妻がオヤツを運んできた折にでも注意することもできた。でも、この私流のやり方の方が、正解ではないか、と今も思っている。

 現実に、妻は、私が思っていたより早く2つのシャベルを見つけ出し、届けて来ており、おの折の安堵の気持ちを思い出しているからだ。私なら、きっと先に持ち出した方を置き忘れ、ウロウロしていたに違いない、と確信するに至っているからだ。私より先に、妻をホケ老人にしたくはない、との願いがかないそうで、改めて嬉しくなっている。

 ところが妻は、3度も呼び出され、ムシャクシャしていたようだ。引き上げる時に何か意味不明の悪態をついた。そこで私は、「サッサと消え失せろ」とでも言ったような追い打ちをかけた。耳がよい妻は踵を返し、「今、何と言いましたか」と詰め寄ってきた。私は負けじと「聞き取れたのなら、1人にしてくれ」と返した。

 やがて4時ごろになった。「頂き物です」と言って、妻はカルカンと牛乳のオヤツを運んでくれた。わが家では先に決めたことは、事情がどうであれ守ることにしている。私も気分を改め、素直に礼を述べた。

 オヤツを食べる間、妻はいつものように側で待ってくれたが、私は2つのことを考えている。3度も些細なことで妻を呼び出したが、京都での9月の個展を控え、妻は人形創作の最中だったが、いかなる影響を与えたか。

 もう1つは、ある2つの事件だった。生活苦に陥った男が、新幹線で焼身自殺をした事件。そして、単身赴任地に戻ろうとしていた夫が放火し、家族に取り返しようがないことをした事件だった。もちろん、どのような事情があったのか知りようがないし、知りたいとも思わないが、なぜか2つの事件は、気の毒に思われてならなかった。

 

大きい方の水槽周りの幾つかの鉢

ツタの鉢植え

妻には知られたくない事実を1つ増やした