最後の予定

 

 ある業界団体からの講演依頼で、その下打ち合わせだった。まったく事情に通じていない業界からの依頼だが、旧知の人が紹介者であり、下打ち合わせをさせてもらった。幹事の希望は、なんと「未来に備える心構えをしたい」だった。

 1か月以上も先に行うスピーチだけど、未来については「次代の姿」を、備え方については「各人が心得ておくべきこと」を主に話をさせてもらおう、と心積もりした。

 この打ち合わせをしながら、なぜか安倍首相を哀れに思いはじめ、哀れになっている。安倍首相には未来が見えていないのだろう。太平洋戦争をおっぱじめた連中と同様に、時代の変わり目が見えていないのだろう。躍起になってあれこれ多弁になっているが、もし真面目になって多弁になっているとすれば、真面目に不真面目なことをしていたことに気付けていないのではないか。

 だから、靖国神社に無分別にこだわるのではないか。無分別とは、「真面目に不真面目なことをさせたA級戦犯」と、「不真面目なことを真面目にさせられた戦没者」を分別していないことで、そう睨んでいる。もちろん私は、その両者にたいして共に、いたく同情している。その両者には共通していることがあるからだ。それは、両者がともに無知ゆえとはいえ、不真面目なことに真面目になって取り組んだからだ。でも、前者は知りうる立場であり、加害者だ。後者は情報を遮断され、無知であらざるを得なかった。

 こんなことを考えながら、幹事さんに「喜んで」とお答えした。