漏電
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害獣防除用の電柵で、このたび感電死事故が生じた。本来なら「人が死ぬことなどあり得ない」事故だ。「折悪しく」と言うべきか、「折よく」と言ってもよいのか分からないが、私は興味津々で社会の反応(獣害に対する世の中の反応の移り変わり)を見まもっている。 実は、スペイン出張中に、わが菜園にサルが侵入している。だから妻に(電話で)「電柵に電気を通していなかったのですか」と叱られた。妻は、電柵ができたので「サルはもう侵入しにはず」と思い込んでいたわけだ。もちろん私は詫びた。電源を切っていた訳を話した上で詫びただけでなく、善後策の指示もした。 それは通電工事の指示だ。とはいえ、電柵業者にではなく中尾さんに頼んで通電すべし、との指示であった。もちろんそれには訳があってのことだ。電柵業者の人たちは良い人揃いだが、残念ながらまだビジネスの間柄に留まっている。中尾さんとの間のごとき想いを共有していると自覚できるまでの関係には至っていない。そこで、その通電作業が功を奏さず、サルに再侵入されても、妻のあきらめがつきやすくしたかった。 要は、医者を選ぶ時や、結婚するときの心がけだ。この人が相手なら、命を落としても構わない、この人がシクジッタのなら「アキラメ」がつく、むしろ「本望だ」、との心がけだ。私は、さまざまな分野で、こうした相手とより多く巡り合え得ることを願っている。それが、加齢対策の第1ではないだろうか。 同時に、これが次代対策の根本になる、と思っている。要は、文明が油断させてきたことを警戒し、文化の時代を見直さなければならない、と睨んでいる。 だから、私は1人でも多くの人と、そうした次代対策の大切さに気付き合えるようにしたく願っている。だから親しい人はもとより、触れ合う機会に恵まれた人には、そうしたサインをちらつかすように心がけている。 今週は、6人の女子学生にも、アーサーシュレジンガーJr.が発したケネディー大統領への助言を紹介し、未来志向の必要性を訴えている。20世紀人であるケネディーに対して、アーサーシュレジンガーJr.は、19世紀の英雄たちの後を追うのか、それとも21世紀人になるか、と迫った助言だ。これは、工業社会が広めた錯覚から一刻も早く目覚め、文明の誘惑に甘えたり、文明の横暴におぼれたりしてはいけない、との助言だ。 横道にそれただけでなく、少々大げさになってしまったが、要は妻に、通電工事を誰に頼ませるべきか、との話だ。その相手として電柵業者ではなく私は中尾さんを選んだ。それは、電柵業者の担当者が不適切な人であったからではなく、むしろその逆であり、とても良い人であるからだ。だが、妻は接触する機会が少ないだけに、まだとても良い人であることが理解できていないはず、と見てとった。 つまり、通電工事を頼んだのに、再びサルに侵入されたらどうなるか、との不安を感じたわけだ。実は、通電したとしても電柵は完ぺきではないことを私は知っており、再侵入される可能性が非常に高かった。その場合のことが心配だった。 中尾さんが相手なら、目的を達成するまで原因を探り、妻は心を1つにして取り組むだろう。だが、今の時点で電柵業者の担当者がサルの再侵入を許したら、「プロのくせに」と妻をガッカリさせ、電柵業者の担当者に対する悪しき先入観を抱かせかねない。 それはともかく、中尾さんには私が「言いもらしていたこと」もキチンと対処さしてもらえていた。しかし完ぺきではなかった。それは、私の責任だった。一見しただけでは、新果樹園にも電気が通っていることが分からなかったからだ。 新果樹園には、イノシシが狙いよい堆肥の山がある。サルが襲いかねない果樹もある。だからイノシシフェンスを設けており、その上部には電柵も張っている。だが、菜園の電柵とこの新果樹園の電柵が一体化していることが一見では分からない、という問題を抱えていた。その間の電線を地下埋設しており、一見では見えなかったことだ。 この新果樹園の電柵に、ヤブガラシなどのツルが登っていたし、クヌギやシダレモモなどの木の枝も絡みついていた。だからそうと知った帰国後、通電を私は切っていた。 そこで、この日は大仕事になったが、まず漏電対策を完成させた時の図を瞼に描き、次いで本年度に打つべき手を打つことにした。それは、これから生きている限り、年に少なくとも2〜3度は繰り替えさなければならない作業であることを意味している。 |
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