安藤さんは文明に甘えた

 

 「デザインだけで選んだ」との釈明は、正気の沙汰とは思えない。もし正気とすれば、それは工業文明に甘えた考え方だ。つまり、見てくれや珍奇性などを優先しており、未だにデザイナーとしての肝心要に気付いていない証拠だ。資源枯渇問題や環境破壊問題などを多発させてきた工業文明に甘え、その延命余地にすがっているに過ぎない。要は、化石的な思考だ。

 イギリスで産業革命が軌道に乗り、ロンドンで第一回万博が大成功したころから、早くも工業社会の行く末に危惧の念を抱き始めた青年がいた。ウイリアム・モリスだ。彼は150年も前に、今日の工業社会の惨状を見抜いており、それを防ぐためにデザインの必要性を唱えている。そして、デザイン活動を初めている。だから、ウイリアム・モリスはデザイナー第一号と見られている。

 ところが、デザイン活動はウイリアム・モリスの願いとは逆に、悪しき活かされ方をするようになる。モリスは、真の美的価値を高め、商品寿命を長くするためにデザインの必要性を唱えたが、その後の世の中は商品寿命を短くする(強制的陳腐化の)手段として活かすようになった。もはやその次代ではないことを多感な少年少女はしっている。

 「デザインだけで選んだ」とは釈明は、正気の沙汰とは思えない。もし正気とすれば、それはコウギュ文明に甘えた考え方だ。つまり、見てくれや珍奇性などを優先し、資源枯渇問題や環境破壊問題などを多発させてきた工業文明の延命に過ぎない。要は、化石的な思考だ。

 半世紀以上も前に、アーサーシュレジンガーJr.がケネディー大統領に贈った助言とはまったく逆の発想ではないか。

 結局この問題は、国民に過大な負担をかけることになるだろう。予算をはるかに超えてしまうなど、無理に無理を重ねさせ、とても高いものにつかせるだろう。

 文明に甘えたり、おぼれたりする人や国は、次第に苦しいところに追い込まれるのではないか。逆に、よき文化を守っておくことが、次代対策であったことが次第に明らかになりそうだ。