悪いことは重なるものです

 

 己の尖った(治療中の)歯に、これほど不自由な思いをさせられるとは。でも、口内を傷つけないように注意してよく咀嚼し、満腹 感を早く満たし、体重のリバウンドに悩まされずに済ませる一助として活かしたい。これも災い転じて福となす、ではないか。

 近ごろの「ブリッジ」は、かつての方式とは様変わり、と見た。その治療が始まってすぐにそうと見た。この様変わりの完成した様子は次週の火曜日に分かる。かつての方式なら、義歯を固定させる金属製ブリッジを、両側の健全な歯に掛けるはずだ。しかし、その健全な歯を、意外や意外、大胆に削り始めたのだ。

 きっと様変わりの新方式は、3本の歯を異なる方式で一体化させるのだろう。つまり新調する義歯の両側に枝(両側の健全な歯を削り取った部分に相当する)を付けておき、セメントで固定するに違いない。ならば、人さまの目には、ブリッジを架けた歯であるとは映らないだろう。

 もちろん、健全な歯を削るわけだから、その隙間から虫歯になりやすくなるはずだ。だから、「いずれの方式を採用しますか」との質問があっても良さそうだが、なかった。

 もともと私は、医者などに体を預ける時は、この先生にならば命を預けてもかまわない、つまり、お任せしたい、との心境になれることを大切にしている。だから、なされるままになっていたが、そこで、考えた。

 今や、この新方式が当たり前の時代になっているのではないか。あるいは、この先生の私に対する親切心の現れであるに違いない、と考えた。よく考えてみれば、間もなく喜寿を迎える私にとっては、健全に見える歯も年相応のガタがきており「早晩の命、だろう」。第一、その歯の持ち主である私自体が、その虫歯に悩まされる前に命がつきかねない。その程度の寿命しか持ちあわせていないことに気付き、ニタリと笑みがこぼれた