「レガシー」

 

 万里の長城やピラミッドはレガシーの1つだろう。

 この間、万里の長城ですら3割ほどが崩壊するなどして消え去っていたことが分かった、と聞いた。万里の長城は、国防上の構築であったのだろうが、レンガを焼く木材乱伐で国土の砂漠化を進めてしまい、国の土台を揺るがしている。

 ピラミッドは、農閑期の庶民救済事業であったとの説もある。

 この2つは、今も観光資源として国を潤しているが、いま日本で「レガシー」という言葉を用いている人は何を考えているか。

 今、わが国が考えるべきレガシーは、東日本の復興をおいてほかはないだろう。さまざまな面で、沖縄に次いでさまざまな負担を背負ってきた東日本を復興せずに、愛国心など生れようか。その復興の足を引っ張るがごとき工事を要し、しかも1000年どころか500年の耐久性のない構築物に、レガシーなどという言葉を使ってほしくない。

 せめて、建都1100年記念の「平安神宮」程度のことは考えてほしい。

 オリンピックはすでに役割を終えていた、ということがいずれ、明らかになるだろう。