朝食時にまずは失笑した。前日、妻はメザシをまとめて焼き、1匹残ったようだ。それが私に出された。歯が治った私は頭の方からかぶりつき、いつものように残る半分を妻に勧めた。妻は「それも、今朝はどうぞ」という。怪訝な顔をすると、「尾頭付きです」という。さらに怪訝な顔をすると、「喜寿のお誕生日です」と続いた。
とても気にかけていた喜寿の誕生日を迎えていながら、それは「今日であったか」とその瞬間に思い出している。そして、とても嬉しくなり、尾鰭の方も噛み砕いた。
眼医者はなぜか「もったいないから」と言った。その意味するところは分からなかった。要は、手術を見送り、4か月ないしは半年に一度、検査を受け、しかるべき時に手術をすることになった。その女医は、「健康そうだし」「眼鏡さえかければ、0.4以上あるし」「まだ、もったいないから」と言った。
その診断の前に検査を受けた。裸眼だと一番上のカタカナや一部の切れた〇しか見えず、ショックを受けた。往年は両眼とも2.0であったし、短大に勤めていた頃はまだ1.0程度だった。それだけに、ショックを隠し切れず、私は素直に首を縦に振った。
「それは、どういう意味ですか」と2日後の中年男性の来客に問われた時のことだ。その時に「そうであったのか」と気付かされることがあった。そしてこの女医に対して余計に好感を抱いた。恐らく彼女は、「ご両親にもらった体に」「まだ、メスを入れなくともよいでしょう」、「もったいない」となったのだろう。
実は、この女医には先代の女医があり、その人はとても素敵な母親であった。わが家はその先生の家族あげてのファンであった。
今年も、買ってまでは食べないと心に決めた好物を、いずれも味わうことができた。10年あるいは20年来、今年もこの人から頂けるかも、との心ひそかな願いがかなえられたわけだ。義妹は初成りの西瓜をくれた。おかげで、30年来この時期に同じところに一家で旅をして、西瓜を下さる人の分と重なり、ニンマリした。また、私が丁寧に掘り出したクズのジャガイモを、妻はまず、私の好物に調理してくれた。
この収穫時に第2次インゲンマメの支柱を解体しており、もちろん、妻が採り忘れた豆を持ち込んでいる(写真手手前)。この内の大部分を妻は料理に活かさず、私が堆肥の山に捨てた。でも、これも「自家菜園の豊かさ感」のように思われた。
3月に松屋銀座店でお目にかかった妻のファンから、私にも宛てた知らせがあった。亡き母と瓜二つの女性からの近況紹介と暑中見舞だ。
いただき物のうれしい書物にも手を出し始めた。もうI〜2か月長生きされていたら、アイトワの庭を観てもらえていた人だ。常寂光寺で、前住職に紹介された人であり、「里山」という言葉は「ボクが創った」と聞かされた。
週末には嬉しいことが重なった。嬉しい誕生祝にも恵まれたし、妻の想いの一端も知りえたからだ。それは「赤旗」ではなかったが、妻が取材を受けた記事である。妻も、「こんなに短く、分かりやすく私の話はまとめられるのね」と大喜びしていた。
ちなみに、この日は夕食にも特別なメニューはなかった。それだけに、夕立時の変わった空模様と、朝の「お頭付き」、そしてこの日の朝から始まった「ネバネバ四君子」が尊く思われた。
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