「健啖家の集い」

 

 これは私がつけた勝手な名称。「ブルマー55」の堀口さん、スーパーシェフを囲む集い。数年前から始まったようで、私は昨年に続いて2度目。集った人は、料理人父子だけでなく、手料理の出来る人が多く、私は肩身が狭い。

 集合場所の卸市場ではまず大きな魚(クエ)にビックリ。見馴れた白身の魚で、妻は鍋物にするが、大きさが桁違い。大きな宴会に備えてか、丁寧に皮をはぎとっている男の背中からは「どんなもんじゃ」との声が聞こえてきそうだった。

 びっくりするような岩ガキもあった。生涯「食べられそうにない」と思った。普通のカキでさえ、妻は大きいのは食べない。小さいのを、カリカリにフライする。もちろん、私は大きいのを選び、生食と、フライはサット揚げてもらうが、妻は習おうとしない。

 卸市場は賑わっていた。私は、フト陶芸にたどり着いた村山さんを思い出した。「骨壺」を分けてもらった陶芸家(魚河岸で働いた時期もあった)を思い出しながら、もし私がここで働いていたら、キット大きく人生を変えていたに違いない、と思った。桁違いに大きな魚の皮を、腰でリズムをとるようにして皮をはいでいた男をみつめながら、私は代わって剥ぎたくなっていた。

 昨年はBBQをした川岸の会場で、ウナギ料理の下ごしらえなどを学んだが、今年はそうした機会を逸した。それは往路の車で時間を要し過ぎたせいだ。山の中を走りに走り、2度も峠越えをしたが、私はいたってご満悦だった。

 行けども、行けども、昼なお暗い杉を植林した山あい。随所に倒木がある。切り捨てたのかもしれない。いずれも朽ち始めており、キノコと腐葉の匂いがただよっていた。いかにも「朽木」に向かっている、と実感した。

 だから、網田さんが見覚えのある道に出て、「ホッ」と胸をなでおろしたときは、私は逆にガッカリ。急に明るくなり、2車線になっただけでなく、道路標識が随所にあるし、「鯖寿司」などの看板をあ げる店が並んでいたからだ。しかも、対向車がビュンビュンと通り過ぎ去理、朽ちた木のイメージは消え去ってしまった。

 昨年と同じく、300円払って侵入する川原の会場に入ると、炭火は既におこっており、カシワのソテーなどが始まっていた。網田さんは、車に積んであった部材や荷物を取り出し、まずモンドリを子どもに見せた。私はテント張りに携わった

 堀口さんの軽4輪を初めて見た。「この荷物(健啖家の集い用)は、ゴルフの時は全部取り出し、入れ替えまんねん」とご満悦。ついこの間まで「ラッタッタ」というバイクを愛用だったが、網田さんによれば「もらいもの」の軽4輪とか。

 「4億円の宝くじに当たってなお」と私が思い至ると、堀口さんはすかさず「ケチでんねん」とニンマリ。

 昼食のあと、堀口さんに友釣りに誘われた。「昨年のリベンジ」とばかりに私は乗った。そこを見透かされていたようで、「殺気はあきまへんで」と釘を刺され、ハッとした。同時に、過日のスペイン旅行の最高のキーワードは「バランス」だったが、この日は「殺気」になりそうだ、と思った。昆虫採集に始まり、数々の体験を通して「殺気」の何たるかをいやほど知らされている私は、大いに反省。殺気は釣り糸を伝わるのだろう。

 釣り場は昨年と違った。堀口夫人には先に徒歩で現場に向かい、受け入れ態勢を整えてもらっていた。結局、分かったことは、キットご夫妻には「何としても今年は」と話し合ってもらえていたのだろう、ということ。それ だけ余計に「殺気」との助言が心に突き刺さった。そして、10分、20分と時が流れた。どのくらい時間が過ぎ去ったのか分からない。フト我に返った。寝つきが悪い夜に「ウトッとしていた」と気付かされた時のような瞬間だった。腕に「グッ」と来るものがあった。

 棹をあげると、キラキラするものが2つになっていた。やっとの思いで、その2つを網に収めることができた。

 なぜかこの時、つい先ほどの思い出を私は振り返っている。それは、軽くソテーしたカシワを1つ、網田さんがつまんだ時のことだ。

 「誰や!(カシワを)つまんだヤツは」と堀口さんは叫んだ。この時に、カシワにはサルモネラ菌が伴いがちであること、それを死滅させる火の入れ方、あるいはカレーに入れるカシワはそこまで火を通していないことなどを私は学んだ。網田さんは、かつて間違ってハイター(だったか)を呑んでも下痢をしなかった、などと抵抗した。

 次に、このカシワを「何時入れるンや」と、堀口さんは叫んだ。ダッチオーブンでカレーの準備が進んでいたが、担当していた武田さんが「もうチョットあと」と応えた。

 「『もうチョットあと』とは何分あとヤ」

 「10分」と続いた。

 私はなぜか「ンッ」と思った。しばらくして、武田さんはソテーしたカシワが入れたが、その瞬間に、「3分、早かったゾ」と堀口さんは声をあげた。

 「健啖家の集い」の皆さんは、ぞんざいな口をきき合えることを楽しんでいるようで、楽しげに時は過ぎた。その様子を楽しげに眺めながら、わが家ではこれがよく夫婦ゲンカになっていた、と思い出した。つまり「もうチョットあと、とは何分ダ」「10分だな、11分でも9分でもないんだな」といって夫婦ゲンカの原因になっていた。そして私は、このたび何か新たな発見をしたような気分になった。

 武田夫妻は自慢の息子を同伴した。堀口さんが懇切丁寧な指導に当たる場面があったが、なるほど、と得心した

 こうしたことが次々と續いた。たとえば翌朝。子どもが寝坊をしたときもその1例だ。子どもたちは料理にありつけない事態となった。そのおかげで、私は念願の「フレンチトースト」を2枚も味わった。「本式に、6面を焼けたら」もっと美味だ、と武田さん

 とりわけ、一人の男の子は、寝坊が過ぎて、朝食時間に間に合わず、ほとんど食べものはなくなっていた。だが、誰も起こしに行かなかったし、料理を残そうともしなかった。それは堀口さんの姿勢であり、親切であった。

 その男の子は、元アイトワ塾生の伴さんの息子の清太だった。伴さんは堀口さんの教育方針に賛成で、堀口さんの「起きてきたら、うまかった、うまかった、と言いまひょナ」との提案に載っていた。この2人はともに、10代から海外(フランス、かたやイタリヤ)に出ており、一人暮らしを経験している。

 翌日の川辺では、昨日仕掛けたモンドリが引き揚げられた。なんと6匹の収穫で、「モンドリで、アユが捕れるなんて」との驚きの声が上がった

 この集いでは、参加する各人が希望のメニューを申告し、かなえてもらえる。朝食は、まず前夜から用意された「フレンチトースト」だったが、これは前々回、網田さんが所望し、食べさせてもらったメニューだ。だが、後で調理人から叱られたという。それほど、手間がかかるようで、BBQでは非常識なのだろう。

 私はなんとしても食べたかった。その意を斟酌した網田さんのおかげで、希望がかなえられたが、私にとっては、これを上回るもっとも大きな満足を得ることに多々恵まれた集いとなった。

 

大きな魚(クエ)にビックリ

岩ガキ

卸市場は賑わっていた

炭火は既におこっており

モンドリを子どもに見せた

テント張りに携わった

堀口さんの軽4輪を初めて見た

カシワを「何時入れるンや」と、堀口さんは叫んだ

得心した

フレンチトースト

武田さん

 

この2人

「モンドリで、アユが捕れるなんて」
との驚きの声が上がった

ハヤ

大きな満足を得ることに多々恵まれた集い