2度あることは3度ある
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その最初は、国立競技場の「ゼロベース」問題だ。そして、2度目は「シンボルマークの模倣問題」だろう。デザイナーは「模倣ではない」「オリジナルだ」との主張を繰り返しているが、その証明はできないのではないか。 まったく互いの存在を知りえない関係にありながら、同時期に同じような発想や、同じような創造にいたったケースはいくらでもある。だが、そこには、結果にいたるプロセスがあり、そのプロセスが、互いにオリジナルであるとの証明をしてきた。 この模倣問題が生じた時に、何故か私はあの「小保方」女史を思い出した。ついに、女史はその主張を証明して見せられなかった。第一に、成果にいたる研究(記録)ノートが不備だった。成果にいたる成長の経過が不備だった。 このシンボルマークの模倣問題も、同様の経過を歩むのではないか。デザインの問題であるだけに、結果にいたる成長の過程が、オリジナルであれば膨大な記録として残されているはずだ。それを視れば、オリジナルであるか否かは、おのずと明らかになるだろう。もちろん私はオリジナルであってほしい。だが、小保方女史と同様に、その成長記録が十分に残されておらず、オリジナルだと立証できないのではないか。 そして、いずれ2度あることは3度あるになるのではないか。もっと深刻な問題が生じそうに思われてならない。 この2件の間に、辺野古移設問題では1か月間の休止期間が設けられ、原発再稼働問題では、その責任所在が明らかにされないままに再稼働した。 辺野古移設問題では、翁長知事は「丸め込まれるような人ではない」だろうし、もはや「丸め込んで済む時代ではなくなっている」と感じさせられるに違いない。 原発再稼働問題では、再稼働に関するコメントで、私は2つに注目した。同時に、これも「2度あることは3度ある」にならなければよいのだが、とその不純な動機に基づく再稼働に不安を覚えている。 その最初は、1999年に発生したJCOの臨界事故ではないか。これを体験した東海村の前村長村上達也さんは、このたびの再稼働に関するコメントに、次のような見通しを盛り込んだ。つまり、「政府は2030年度の電源構成案で原発を20〜22%としたが、これは原則40年たったら廃炉にするルールの撤廃か原発の新設が前提になっている」と。そして、「原発が地域を豊にするなどというのは幻想だ。安易なお金に必死に群がることで、元々あった産業は死に絶え、自立の根を奪われる。交付金や固定資産税はいずれ減るから、次々と原発を誘致するしかなくなる」との意見も添えた。 次に、原子力業界の中枢で40年を過ごした日本原電元理事(国内で初めて原発を動かした原電で人事部長や社長室長を歴任した)の北村俊郎さんは、「事故の想定も避難計画も不十分、こんな状態でよく再稼働できるものだ」と延べ、かつての推進者として自責の念が消えることはない、と証言した。また、住民説明会では重大事故の可能性は1万年に1回、と答えていたし、「もし明日起きたら」と返されると、「あくまでも確率論。大丈夫」とごまかしたことを反省していた。 311時の人災が2度目とすれば、3度目は?と、不安でならない。なぜなら、3度目は、近隣住民が3度目の責任者を特定せずに再稼働を許したわけだから、実質上、自己責任問題として覚悟の上の再稼働、ということになるのだから。 その電気を選別できずに買わされる消費者には負担させないでほしい。負担させるのなら、原発の電気と覚悟して買えるようにしてほしい。その気になれば、そうできるシステムを採用しながら、そうしないところに疑問と不安を感じる。つまり、再稼働の最高推進者である安倍首相は、心ひそかに「2度あることは3度ある」と見ているが故、と思われるのだから。 |
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