丁寧に読んでみると、日本は「無条件降伏など求められてはいなかった」ことが分かった。
かつて私は、日本は「無条件降伏を迫られた」と読んでいた。それに屈した、と思い込んでいた。それは、庭で「日の丸」をへんぽんとひるがえしていた頃のことだ。
だが、この度、読み直しみて恥ずかしくなった。日本は「無条件降伏など求められてはいなかった」。問題は、何を日本と見据えたか、その度量のなさにあったようだ。
大日本帝国の政府は、直ちに「全日本国軍隊の無条件降伏を宣言する」ことを求められていたのだ。つまり、軍隊を無条件降伏させ、日本国民をその縛りから解放することが求められていた。それを大日本帝国が無条件降伏を迫られた、と読んでしまったわけだ。どうやら当時の私は「日の丸」をへんぽんと庭でひるがえし、高慢ちきであったことに気付いていなかったようで、その頭は国民主権の目を持っていなかったわけだ。
もし持っていたとすれば、作家の高見順のような、謙虚で澄んだ心境になれていたはずだ。敗戦当時、高見順は次のように日記に書き残していた、という。「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由を与えられるとは」と。つまり、ポツダム宣言をおくればせに国が受け入れたことにより、国民は人権を勝ち取っていたことになる。
安倍首相にいたっては、ポツダム宣言を、原爆を2つも落とし「どうだ」とばかりに大日本帝国に突きつけた宣言、と認識していたが、真実は逆さまだ。ポツダム宣言に従わなければ、原爆投下もありうることを匂わせた宣言であった。
無分別に突き動かされた日本の軍国主義者たちは、日本国民をだまして、世界を征服しようとたくらんだ。これに対して、世界の自由なる人民は蜂起してドイツを降伏させた。この「世界の自由なる人民の力」は、今や連合国の「軍事力の最高度の試用」を支持している。これによって日本の軍隊は壊滅するだけでなく、日本国全土の完全な破壊がもたらされる。と警告していた。
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