様々なことに思いを馳せながら

 

 往路の車中で『ヒトラ−とナチ・ドイツ』を著した石田勇治の一文を読んだ。そこに、昨年の麻生発言「憲法はある日気付いたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変っていたんですよ。誰も気が付かないで変った。あの手口に学んだらどうかね」を紹介していた。今年は、武藤貴也議員の問題発言があったが、そのときに、今は新安保法制を通すのが先決であって、こうした発言はその後でやってくれ、と麻生副総裁は注意を観Ⓚした。ところがいまだに更迭されていない、ということに気付かされた。

 この水曜日に「朝日」で小熊英二さんの意見を読んだが、2度も読み直したことを思い出した。それは、「このあたりで止めた方が」、私の心にはストンと収まる」と考えていたからだ。

 また、法律家ら300人も立ち上がったことを知り、安堵したことや、廃炉促進策に45億円の記事に触れ、言い知れぬ不安を感じことも思い出した。

 後者では、原発には手を出さず、再生エネにもっぱら力を入れる自治体には「出さないのか」それとも「もっと出すのか」が問題だ。原発推進に国税を投入せずに済んだのだから「もっと出す」のがスジだろう、と思った。さなけれれば、これが呼び水のごとくとなり、垂れ流しの始まり、つまり原発推進の弊害を尻拭いする準備の悪策、と見てよいのではにか。

 日テレで8月23日に放映されたというNNNドキュメントにも思いを馳せた。「2つの“マル秘”と再稼働、国はなぜ原発事故資産を隠したのか」との概要しょうかいだったそうだが、驚ろかされた。