爽快で贅沢な時間
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急遽組み込んだ畑仕事は、第1次トマトの跡の仕立て直しだった。前日、いつでも耕せるようにしておいて「ヨカッタ」と思った。この幸運は、次の約束(いわば当週のトピックスともいえる来客)時に、プロローグのごとき話題として活かすことになる。 この日、仕立て直した畝には、自然生えのゴボウが1本、育っていた。その掘り出しには少々手間取り、おのずと週初めのゴボウのこと、「私が抜きます」と言われてしまった小事件を思い出させた。それもこれもわが畑の土質の問題と関係がある。 わが家の畑は、今や土質が3層になっている。元は2層だったが、上の1層が2層になった。私が腐葉土などを鋤き込み続けてきたので、深さ30cmほどの赤土が黒土になった。その下に10cmほどだが赤土がそのまま残っている。それは、母が耕作していた当時を偲ばせる。 さらにその下の土質が、本来の表土であったに違いない。つまり、その表土の上に、いつか、誰かが盛り土をした、と私は睨んでいる。正確に言えば、30年ほど前まではそう睨んでいた。その後、その道の権威に聴かされた意見があり、そうであったと腑に落ちた。 その人は、隣にある小倉池は、灌漑用に掘られた池と見て間違いない、と断言した。しかも、様式からみて渡来人が掘ったものか、あるいは後年、渡来人の様式を真似て掘ったものかのいずれかだ、との断言だった。 それはともかく、石ころが不規則に混じった赤土だから、ゴボウのように根が深い根菜には向かない。このたびのゴボウも、根を深く伸ばすことを途中であきらめていた。だから、ゴボウは「筒育て」方式を採用するようになった。 当週は、その1本を抜き取ることになったわけだが、私は手こずり、あきらめ、「お手並み拝見」となった。この結果を、勉強といってよいのか、なんというべきか。 私は、一番よく育った分を引き抜こうとした。そうすれば、残された分に成長する機会を与える。そこで、その1本を引き抜こうとして、首のあたりから引きちぎってしまった。次の1本も、引きちぎりそうになったので、あきらめた。だが、妻は引き抜いた。問題は、なんてことはない、妻は引き抜けるものを選び、引き抜いたに過ぎない。まっすぐに育ち、スーッと引き抜けそうな分を当たり、「これゾ」と思う分を引き抜いたわけだ。 自然生えはそうはゆかない。そうとう手こずったが、無事に掘り出せた、まだその時点では雨は降り出しておらず、ミントがはびこっていた部分にまで手を伸ばすことにした。 それで分かったことがある。なぜここまでミントがはびこっていたのか、ということが分かった。ワケギの畝であったからだ。ミントが勝手に芽生えたのに、放っておいたわけだ。本来ならもっと早くワケギを掘りだし、植えかえればよかった。だが、ミントをここまで茂り放題にさせていた間に、ワケギの畝であったことをすっかり忘れていた。 畑ではびこらせたくないミントの根を掘り出し、ワケギの球根をすべて取り出したが、雨はまだ降り出さなかった、そこで、「いっそのこと」と、前日耕したバジルの跡と一緒に、冬野菜用の畝に仕立て直すことにした。雨は、うまい具合に仕立て直しが終わるころに降り出した。 来客は再会だった。アポイントをいれる電話のおりにそうと聞かされた。「10年ぶりか」あるいは「もっとか」と思われるほどの久しぶりだった。 かつて、とても大きな企業で、2度にわたって社員研修のごとき講演の依頼を受けたことがある。その最初は『このままでいいんですか』がテキストで、リストラ旋風が日本中で吹き荒れていた頃だった。2度目は、しばらく間隔があったが、様子が大きく異なっていた。『次の生き方』をテキストにしている。わが国の野球選手が、高年俸で次々とアメリカにトレードされるようになっていた。来訪予定者は、その2度目の時の受講者の1人のであった。 「なるほど」とヒザを打つ思いがした。「あの(質問をした)人でしたか」と私は声を弾ませた。「妻はアトピーに悩まされているが、その対策はいかに」とでも言ったような質問をした人だった。その後もズーッと気にかけていた人だ。 この人は、私の助言、それは原始的ともいえそうな療法で、施そうとすると相当の面倒さを伴う。だが、それに習い「妻のアトピーは癒えました」と言った。この時に「なるほど」「この人もやはり」と、過去の事例を振り返りながら、偉くなる人の共通項をおもい出しながら、ヒザを打つ思いに駆られている。この人は今や2000人を配下に抱え、その幸せに心を砕いていた。 半時間たらずの面談だったが、爽快だった。 午後も、再会を期す時間であった。大丸京都店で開催中の個展会場を訪れた。期待通り、ご夫妻で詰めておられた。パリで存在感を発揮できた数少ない画家の1人で、現役だ。「赤城の赤」でもよく知られる画家で、作品集をいただいた。 この画家と出あう機会を与えてくれた共通の友人が話題になった。私は、その場から友人にケイタイを入れ、その後の消息を知りたくなった。大病を克服した旨を聞かされた。 その後、珍しくも妻をデパ地下に誘った。そして、かなりの品を衝動買いした。好物の海産物が主だが、ビールのつまみになる唐揚げと、幾種かの寿司にも手を出した。 この日の夕餉は、妻はお澄ましを造り、寿司を皿に盛り、ビールの栓を抜くだけだった。おそらく、自ら買い求めた食べ物で、こうしたケースは始めてのはずだ。お澄ましには。今が盛りのハナオクラをタップリ用いていた。『一路』を観終わり、妻は工房に急いだ。私は、書斎にこもることにした。 |
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母が耕作していた当時を偲ばせる |
根を深く伸ばすことを途中であきらめていた |
ワケギの畝であったからだ |
作品集をいただいた |
作品集をいただいた |
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