なぜ自信がないのか

 

 どうして安倍首相は、ドイツのように国民が心に自信を秘め得るように誘えないのか。悪しき過去を隠し、虚勢を張らせ、オドオドせざるを得ないような道に突き落とそうとするのか。悪しき過去を反省し、胸襟を開いて東洋の民と仲良くできるように導かないのか。不思議でならない。

 実はこの土曜日に、昼間のNHK−Eテレで『こころの時代』を観た。「ケーテ・コルヴィッツ 沖縄で観た戦争の記憶」だった。

 私設美術館長と韓国の学者との対談をベースに話は進んだ。館長は、日本政府が願った通りに動かないから、直談判し、接収された土地の一部を返還させ、そこに美術館を作った。沖縄返還後、接収された土地代金が本土並みになり、とても多額になった。そこで、その活かし方を考えた。「このままでは(県民間の)分断に結び付く」と読み、有意義な活かし方を考えた。そして、基地に矛先を突き出すような美術館を建て、戦争のない世界を希求するコレクションとその展示に活かすことにした。そこで、見出したのがケーテ・コルヴィッツだった

 この爪のアカでも煎じて飲んでほしい、と安倍首相に願わずにはおれなかった。日本国民は優れている。その優秀性をどこに降り向けるかが課題だ。問題は、リーダー次第で、どうにでもなったしまうところではないか。かつては多くの優れた若者を、特攻隊や学徒動員で死なせてしまった。今、立ち上がり始めた若者を、いかに誘うかだ。安倍首相一派は、生殺しにしかねない。これからの日本を左右しそうな大問題だと思う。

 若者には、自分の頭で考える力を授けることが先決ではないか。その阻害を画策するようなことはやめてほしい。

 安倍首相のハッタリ(コントオールとブロックをキーワードとしたウソが初舞)が、オリンピック問題ではすでに三の舞まで演じさせた、と見てよいだろう。安倍首相の米議会で見せた虚勢とアセリが、国会混乱の元凶だ。国民を裏切り、高見の見物をするアメリカをほくそ笑ませ、バカにされるのか、それとも踏みとどまるのか。この人にまで口を開かせ、踏みとどまるべしと言ってもらえた、今がチャンスだ。誰に口を開いてもらえば、踏みとどまれるのか。
 

私設美術館長と韓国の学者との対談をベースに話は進んだ

ケーテ・コルヴィッツだった