まったく影響なし

 

 仏壇に粟餅を供えた翌日、下げてお茶の時間に妻と味わい直した。前日とは様子がすっかり変わっていた。硬くなっており、「本当の餅」「本物の餅」を実感。そのおかげだろうか、供えた両親に「美味しい間に十分に味わってもらえた」かのような心境にされた。それは、333年も保ってきた文化のおかげだろう。

 そこいらの餅のように、手土産として持ち帰り、翌日も同じように軟らかく食すわけにはゆかない餅だ。もうあと333年、この文化を保てるのだろうか、と思った。文化は常に、ある種の制限や制約を強いる。いわばその約束事が文化の本質と言い直してもよい。その、ある種のブレーキや制約を取り払い、もっともっと多くの餅を売りさばけるようにしたのは文明の利器だ。輸送力だけでなく、餅の品質自体も変えさせてきた。裏返せば、文明の利器は、ブレーキを利かなくさせてきた、と言えなくもない。なぜか、それがこの日はとりわけ喜べず、不安に感じた。

 台風18号は関西をそれ、安堵したが、東北を襲い、甚大な被害をもたらせたことを知ったからだ。いたたまれなかった。一面では腹立たしくさえ思われた。なぜなら、それは異常気象のセイだろう。その 異常気象は、文明の弊害だろう、と思ったからだ。

 翌日も軟らかく食せる餅を考え出し、大都会で大量にさばこうと企んだりしてきたことが積もり積もった結果だろう。工業社会が地球にかけた付加の反動が、思わぬところで吹き出させるのだろう。それがなぜ、この度も東北なのか、といたたまれなかった。

 これまでも東北地帯は、大都会で構想された企みによって、例えば戦争などで、さまざまなしわ寄せを蒙って来た。東京に送る電気の、目先の安さのために、放射能に苛まれたのも東北が最初だ。その復興に全力を注ぐと口約束しながら、安倍首相は国際的な大嘘までついて東京にオリンピックを招致、その復興の阻害要因を作ってしまった。

 こうしたことを振り返りながら、固くなった粟餅を食し、「京都らしい」と感心したが、その楽しい気分は長続きしなかった。「そういえば」と思い出したことがある。

 安倍首相は拉致問題でも「取り戻して見せる」とばかりの啖呵を口では切った。「それが安倍政権の使命だ」とばかりの口約束もした。その折にも私は、またまた白々しく「リップサービスを」と睨んでいる。守れない口約束を、許せない気持ちにされている。

 かつて私は「帰ってこない」と断言し、当週記でもそう記した。「それは安倍首相の官房長官時代の行い」に原因がある。「返す」との約束で連れ戻した5人を「返すな」と主張したのが安倍さんだ。「金体制」がどうにかならない限り、還してもらえなくなった、と読んだ。

 それが安倍首相の狙いだろう。近隣国との関係を険悪にし、国民に危機意識を抱かせ、判断力を見失わせる。それが安倍首相の狙いだろう、と見た。案の定、思った筋書きで進んでいる。米議会で先に啖呵を切り、その通りに「安保法案」を強行採決してみせたかったのだろう。

 そのやり口に、東条英機の、日本人を思考停止させた発言を彷彿させた。中国戦線の拡張に異議を唱えた人に向かって、東条は「これまでに投じた10万の英霊を無にするのか」と言ったような理屈をこね、迫ったという。それが、その後300万人余の邦人の犠牲に結び付けた。中国大陸では少なくとも1000万人余と聞く(抗日戦勝70周年記念日に中国は3200万人と主張)犠牲を強いた。

 拉致問題でいえば、5人を「返しておれば」、当時の生存者は取り戻せたはずだ。生存を確認できた5人を日本が約束通りに返しながら、北朝鮮にそのままにさせておくほど国際環境は甘くない。国際社会が黙っていない。もちろん、駆け引きに使われたであろうが、当時の残る生存者も取り戻せたに違いない。なぜなら、生存中に、駆け引きに活かした方が有利に決まっている。

 そういえば、「ホルムズ海峡」などと、寝ぼけたことも言っていたな、とも振り返った。しょせんは有限資源のとりあいの問題だろう。その確保にこだわるのは、戦前の発想とかわりがない。当時は、今日のような有限性に目覚めていない。無尽蔵の盗り得のごとき印象さえあった。今は違う。にもかかわらず、安倍首相は「ホルムズ海峡」などと、寝ぼけたことを言った。ウラニウムも有限だ。そのようなもので国民の危機意識をあおり、戦争の出来る国にしてよいか。

 わが国は、自然エネルギー大国だ。少なくとも、工業国では最も恵まれている。逆に、4つの大プレートがひしめき合っており原発には最も不向きな工業国だ。

 わが国は、自然エネルギーの開発に努め、自然エネルギー大国となって、未来を明るくする国に、国民に、なればよい。NZは、原発には手を出さず、日本の技術で地熱発電をすすめており、自然エネルギーでまかなう国へと進んでいる。

 資源小国など血を流してまで盗るに当たらない。つつましやかに生きておれば、誰も血を流してまで奪おうとはしない。いわんや、未来を明るくする民族になれば、攻撃などするはずがない。生き残ってもらわなければならない民族になるべきだ。逆に、石油を取り合ったり、放射能を散らかしまわったりすれば、話しはややこしくなる。

 固くなっていた粟餅が、口の中でやわらかになった。