首相にいただく不幸

 

 丁度200年前の大噴火は、インドネシアで生じたタンボラ山。その噴煙は地球を覆い、夏にアメリカで雪を降らせたなど数年にわたり、火山の冬になった。コレラが世界的に大流行。欧州ではウマの餌にする草が育たず、やむなく自転車を考え出した。ナポレオンは、気候変動を読み間違い、ワーテルローで大敗北し、凋落に向かう。

 こうした大噴火などの大天災への供えこそが本来の政治。これが今の日本に欠けている。

 たとえば自衛隊を、世界の災害救援隊に仕立て直し、世界にとって、なくてはならない存在にする。農政や税制などを早急に、かつ抜本的に改め、休耕地をなくし、遅かれ早かれ必ず襲われる地球の食糧パニックに備える。こうした「必然の未来に備える」ことこそが急がれる。よしんばその時期がずれたとしても、それや安心感に結び付く選択をすべきだ。それが日本人の生真面目な気質に合っている。

 安倍さんは逆さまのことをしている。言葉は悪いが「人間の悪しき心」をくすぐり、浮足立たせるようなことをしている。野党の中から3党がそれになびき、真面目くさってアホ面を晒した。いい加減にしてほしい。国民はたまったものではない。子にとっては国は親のようなものだ。簡単には捨てがたい存在であることを自覚してほしい。

 それを逆手に取り、国民を売り物にするようなことはやめてほしい。特攻隊員のごとき立場に追い込むことはやめてほしい、と思った。

 同時に、「尊崇の念を込めて」といって打ち出し続けてきた芝居を、その東条に似た無責任なやり口を、ボツボツ多くの日本人が見抜き始めたようだ、とも見始めた。

 三権分立の国の首相で、ここまで司法をないがしろにした首相、あるいはその一派はこれまでにいたのだろうか。司法の独立性が危ぶまれる。毅然たる司法が望まれる。

 拉致問題まで気になり始めた。現両国の体制では、ラチ(埒)が明かない、つまり片付かないと見る視点が揺らぎ始めた。日本人の弱点を読んで、次期衆議院選前に問題解消させる裏交渉が進んでいるのではないか、、と下司な勘繰りをし始めた。要は「カネ気」でしょう。国民のカネで、国民をふりまわせばよいのでしょう、とつぶやく声が耳鳴りのごとく聞え始めた。