感激
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先生は会場で写真を撮り、送ってくださった。まだこの写真を妻には見せていないが、きっと大喜びするだろう。妻はいつも、「誰かに何かを訴えたくなった時に、創作意欲がわく」ようだ。だから、その何かに「!?!」と、気付いてもらえたり、共鳴してもらえたと感じられたりした時がとても嬉しそうだ。先生の写真は、その共鳴・共感の視線、と私は視た。 また、奥さんは「この人は、まるで子どもです」と妻に語ったようだ。それが「好きで、好きでたまらないようヨ」と妻は付け足した。 電話で、「ボクはこのあいだ夢を見ました。作曲してたんです」とおっしゃった。だから、目覚めてから。その記憶が新たな間に、楽譜に書きとめ、その上で、楽器で再生した(否卦・泰卦)、とのこと。 「ウラヤマシイ」と私は思った。ついぞいままで、私は自作の旋律が夢に現れたことなどない。だが、スピーチの依頼を受けた折など、訴えたいことが夢に出たことはよくある。だからそれだけに、旋律を夢に見た先生の「その後」の振舞が羨ましかった。 私の場合は、すぐに書きとめず、いつも忘れてしまい、残念な想いをしてきた。そこで、その夜から(筆記用具はもとより置いてあるので)枕元に筆記しやすい紙も用意した。 早速、翌朝のこと。暗がりで、モゾモゾとメモしていると、「見えますか」と妻に質問された。 |
その共鳴・共感の視線、と私は視た |
この人は、まるで子どもです |
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