大学の苦悩
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訪ねた大学でも、学生時代の4年間を思いっきり満喫させようとしているかのように見えた。しかし、この大学では「学生に時代の変わり目を自覚させ、覚醒の機会を与えるスピーチ」が求められ、私は胸をなでおろした。 なぜなら、私は幼心に悩んだ記憶がよみがえらせていたからだ。私の従兄の幾人かは「予科練」生となり、親や親せきをヒヤヒヤさせ、私をウキウキさせた思い出である。おおよそ、時代の変わり目などは関係がなかった時代の思い出だ。むしろ「時代は切れ目なくこのまま続く」と思わせる雰囲気だった。「予科練」生になって意味があるのか、などとの考えを挟むゆとりなど、微塵も感じさせない時代であった、ように記憶している。 今の大学にも、これに似た心を落ち着かせない一面がある。とりわけかつて花形であった学部や学科。たとえば服飾ファッションなどでは、未来をどのように思い描かせるのか、が大きな問題を含んでいるように見える。 学生たちは夢を抱いて選んだ道だろう。だが、その行く末は見える人には見えている。まるで予科練生と国の関係に似ている。必勝を信じさせ続け、現実に直面するまで真面目に取り組ませるのが親切か。時代の変わり目を自覚させ、覚悟の上で取り組ませるのが親心か。 個人的には、私は「カンカンになってぶつからされる方」を好んだに違いない。カンカンになって選んだ道が、意義がなさそうだ、なんて聞きたくない。ウソでもいいから騙し続けてほしい、と願ったのではないか。そのようにも考えながら、特攻隊や学徒兵が相手でなくてヨカッタと思った。そう自分に言い聞かせながら、胸をなでおろし、思うところを話すことができた。 |
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学生時代の4年間を思いっきり満喫させようとしているかのように見えた |
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