ある判断

 

 常寂光寺の住職の要請に従い、先週設置した防犯カメラに加えて、観光客向けの警告表示板をわが家の一角にも1つ、ある目的をもって立てることを了承した。それは、アイトワの真向かいにある借家で、昨年10月から始まった強引な客引き行為から観光客を護ることが主因だが、わが家の一角に立てたいとの要請の目的は別のところにあった。

 この借家は、かつて料理屋が嵯峨野店として使ったりしていたが、何年か前から空き家になっていた。戦中戦後は高名な学者が畑にしていた敷地だが、夫亡きあとは妻が引き継ぎ、今は子息が継いでいる。敷地の半分ほどを区切り、移築した建物があり、貸家になった。残る敷地の4分の1ほどはまだ空地で、数台の車が駐車できる。この借家と駐車場を、数年前に借り受け、借家を改装し、時々催し会場として使い始めたが、その借主の正体を、数年経過した今も掴んだ人は現れていない。

 この催し会場としての使用は途絶えがちになり、昨年10月から客引き行為が始まった。夜が明けると同時に2つある入り口(アイトワの門前、左斜め前と数mばかり右前)でそれぞれ若い女性に待ち伏せさせ、道行く人が「来た」と見てとると急遽庭掃除をしているふりをして声をかける「客待ち行為」を始めた。そして、立ち止まらせたと見てとると、庭内に引き込む「客引き行為」に移る。そして、警察関係者が「これは詐欺行為ですね」とつぶやくまでの「勧誘行為」までしはじめた。これは冬場にはいっても終わらず、連日(陽が落ちるまで12時間にわたって)繰り返されるようになり、近隣住民だけでなく、常連の散歩者もいぶかし気に見始めた。

 外国人と見てとると、いきなり「Where from」と声をかける。夕刻ともなると、その声に応じて立ち止まる人は、若い男性が主になり、白人男性も多くなったという。

 当初は「小倉山荘」と表札をあげ、「定家ゆかりの」とか「ここは藤原定家の時雨亭跡、との説があります」と、うたっていた。時雨亭跡とは、藤原定家が「小倉百人一首」を編纂した庵跡を意味するが、この「セールスプロモーション」は根も葉もない偽りだ。

 確かに、藤原定家はその昔、当地一帯を行き来したり、近くで「小倉百人一首」を編纂したりしたことは事実、とされる。また「時雨亭」跡は当地域一帯の3か所を指定する学説が古くからあったし、その後新たな学説が現れて久しく、定説化している。

 だから「客引き行為」当人にすれば、「との説があります」と断定していない、と言いたいのだろうが、それは「信じた方が悪い」と言わんばかりで余計に悪質だ、と思われた。

 また、「この物件は高名な学者」の建物だったが、この博士は「藤原定家も研究していました」とも説明した。だが、これも真っ赤なウソだ。家主がわが家に挨拶に見えた時に確認したが、それはあり得ません、との回答だった。

 「客引き行為」者は、賃貸物件に過ぎないのに、「オーナーはアーティストです」と言っていたかと思うと「オーナーは作家です」になったりする。また、オーナーを取り上げたフランスの雑誌のコピーを門口にぶら下げ、「村上春樹とオーナーしか取り上げておらず。オーナーはフランスではスーパーヒーローです」とも紹介した。かと思うと「ここはガイドブックには載っていません」との売り込みもする。そして、「竜宮城のようでした、と喜んで下さる京番茶と干菓子を出して対価1000円だった。

 終始私は、アイトワの喫茶店を運営している妻たちに「相手にするな」と助言し続けた。なぜなら、商売ガタキの争いとの次元で受け止められかねない、と危惧したからだ。とはいえ、その勧誘は日進月歩し、多くの外国人も引きとめられ、その勧誘に載せられるケースが増え始めたことが気になった。また、月に一度わが家にやって来る佛教大生が、「あれは日本の恥ですね」とつぶやいたのも気になった。もちろん、小倉山自治会の、とりわけ近隣の人たちの目の光らせ方も鋭さや厳しさを増すようになった。

 ときあたかも4月1日から、「オモテナシ」の「より向上」を目指す京都市は新たな条例を施行した。「市民及び観光旅行者等の安心かつ安全なまちづくりの推進」や「悠久の歴史の中で培われてきた都資格の維持及び向上」などのために、「客引き行為」「客待ち行為」あるいは「勧誘行為」などを禁止する条例である。

 ついに常寂光寺の住職が、地区推進委員の長としての立場で動いた。地区推進委員とは、小倉山自治会の弱点を補完する組織である。役員は輪番制なので、長期にわたる問題や、歴史的名勝地ゆえの歴史的問題には、1年ごとの輪番制委員では継続的にうまく対応しにくい。その弱点を埋めるために地区推進委員会という組織が誕生し、常寂光寺の住職が常任の委員長と決まった。そして各組から常任が原則の委員が選ばれ、私はその1人となり副委員長という立場にされた。

 委員長は丁重に「この客引き行為」を止めるか、改善するように、と幾度か迫ったが、その都度「反抗的になり」、ついに「文化度を上げやっている」と開き直るにいたった。

 その後、「セールストーク」が変わった。「ドリームカフェ」とか、「究極のカフェ」と詠いあげ、「究極の癒しの空間」を提供していますと誘い込み始め、庭内だけでなく屋内にも入らせ、京番茶と干菓子、あるいはオチョコ2杯の酒とツマミ少々で、対価を3000円にした。

 やがて「ぼったくりだ」と叫び、パトカーを呼ぶ人が現れた。わが家にも泣きついて来る人が増えた。一人の若い女性は「宗教でしょうか」とおびえていた。「敷居を跨ごうとした時に3000円ですと告げられ、引くに引かなかった」という。ある人は、庭内に誘い込まれ、小路を誘われながら「3000円ですが」と告げられ、「踵を返すわけにはゆかなかった」という。要は、人を見て法を説く知恵を日進月歩で磨き始めたようだ。

 さらに、拡大作戦に出た。わが家の北隣、常寂光寺側には敷地150坪ほどの長年の空き家があったが、今年春に買い求め、短時日で庭を改造し、建屋を改装して営業を5月から始めた。その直後に庭の一部を、屋根だけかけたむき出しの駐車場に改めた。それまでは3台の外車を向かいの空地に停めていたが、そのうちの一台をむき出しの駐車場に移動させ、若い女性をその車のそばでたたずませ、客を待ち伏せする商売を追加した。

 当初の外車は赤いベンツだったが、その車を磨いているふりをした「客引き行為」でのセールストークは「さるお方の別荘」であったとか「会員制サロン」だと紹介し、1泊6万円とか8万円で泊めるなどとフランス語で表示しているとの広告をぶら下げている。

 かつてこの家は、市内で酒屋さんを営んでいた隠居夫妻が住み、その夫人は妻の人形教室の初期仲間であった。営業を始めて日もない時に「ベンツ社の幹部が泊まった」とか「チベットのお坊さんが瞑想して帰ってゆきました」などと語り始めた。

 また、ある人には「オーナーは、千利休に傾倒しています」とワビ・サビの世界を語り、他の人には「この車を見れば、中のゴージャスさがお分かりでしょう」と語りもする。駐車させる車はその後、時々入れ替えていたが、このところはグレイ色のジャガーになっている。

 それはともかく、こうしたやり方は、この一帯の文化をはなはだしく破壊する行為だと観た自治会は、この「待ち伏せ」から「客引き行為」に至り、執拗に迫る「勧誘行為」に不安を見出し、沿道に観光客向けの警告表示板を立て始めた。その看板に「注意」と表記したステッカーも張り観光客に待ち伏せを知らせ始めた。

 ところが、「注意」と表記したステッカーの剥がし取りが始まり、それが10回にわたったころに、複数の目撃者から常寂光寺に通報が重なった。住職は「ことの重大性が分かっていないようだ」と判断。そこで、このたびの要請となった。つまりわが家の一角にも警告看板を立て、ステッカーも添付したいとの要請であった。要はステッカーの剥がし取りが「器物損壊行為に当たる」と分かるようにしたい、との考えである。

 実は、小倉池沿いの警告看板からステッカーを剥がし取る行為も、常寂光寺は(小倉山自治会を代表して)「器物損壊」のカドで訴え出られる立場にある。しかし、新入者にはそれが分かりにくいようなので、わが家の一角にも、との要請である。