カストマーズケアーを無視

 

 お門違いの不満の声とは、ご夫妻の来店客が、憤懣だけを「聞いてください」とぶちまけ、水も飲まずに去っていったことだ。かつてアイトワに来ていただいたことがあるご夫妻で、ご主人は「ルイビトンというブランドにつられて入った私たちが悪いんだから」と夫人の憤りを抑えていた。

 詐欺、もしくは詐欺まがいの商法に「引っかかった」と言って、常寂光寺やアイトワに訴え出てくる人がこのところ急増している。

 もちろん、「それなりのものんですよ」とか「その価値は分かりませんが、沢山骨董品がありました」と語り、不満を述べない人もいる。しかし、「白と黒に塗り分けた壁」「一貫性のない骨とう品」「ガラクタ」。「到底国宝や重文クラスとは思えない掛け軸」、「破れていた」。そして「グランドピアノが置いてある」。「和洋折衷のバラバラ」。「京番茶とのことだが、できそこないのハーブティ」。「悔しくて仕方がないから文句を聞いて下さい」「お向かいは何ですか。宗教ですか」と訴えてくる人たちが増えた。

 今週初めは、アイトワへの訴えの中に印象的な事例が3件も混じるにいたった。

 その最初は、一度は「セールストーク」を聴き終えたうえで、一回りして数分後に再度通りかかり、立て板に水のごとくまくしたてられた内容をケイタイで録音した人だ。「こんなことをさせておいていいのですか」との強い疑念がそうさせたわけだ。

 2件目は、その直後だ。2人の観光客が、アイトワの(門扉脇に出している)メニューを覗きこんでいる時に生じた、という。「女性が背後から話しかけてきた」そして「ひつこく『ドリームカフェ』を勧めるので、『私たちはここ(アイトワ)を目指して来たのです』と言って振り切りました」との訴えだった。私は、この報告を受け、防犯カメラの設置要請に応じておいてよかった、と思った。10月11日午後3時ごろに、アイトワの敷地にまで踏み込んだ「勧誘行為」が証拠として記録されているに違いない。

 かつて、常寂光寺の住職が「客引き行為」に対して警鐘を鳴らした折のことを思い出した。「セールストーク」が少し変わり、「究極の癒し空間」だと訴えるだけなく「そこらのお寺なんて目じゃありません」と付け加えていた。

 3件目は、日・米の大学で英語を教える教授夫妻だった。よほど不愉快であったようで、「警告表示板に添えている英文では意味がない」との私たちへのクレームであった。外国人に対して有効ではない。「客引きしている人に、英語で警告してもしかたがない」「外国人観光客に注意をしてもらう内容」にしてもらいたい、との助言だった。そして、相当の時間を費やし、やわらかくわかり易いバージョンと、フォーマルなバージョンの2案の英文表記案を残してもらえた。

 これらの事例は、世の中では「セールスプロモーション」型から「カストマーズケアー」型への転換を求める声が次第に高まっている査証、であるかのように私には思えた。

 こうしてアイトワに不平不満や不安などを訴えてくる人の過半が「宗教ですか」といぶかしげな様子を示す。かつては「今日だけ開いています」などと迫っていたが、昨今は「今日は開いています」「今なら入れます」に変わるなど「セールストーク」は変ってゆく。

 近隣自治会員はもとより、常寂光寺の住職がこうした問題を生じさせかねない「客引き行為」に目を光らせてきたのは当然で、その背景にある歴史的な一面も大切にしてもらいたい。その長年かけて培ってきた風土を、この「客引き行為」が踏みにじっているからだ。

 「カストマーズケアー」という言葉自体は、私が1995年の取材時にアメリカで耳にしたものだが、「その心」は、常寂光寺の先代住職に私はとくとくとたたき込まれていた。先代は『美しい嵯峨野を守る会』を立ち上げ、近隣の美化に貢献するなど一帯の景観維持と改善に長年にわたって努めた。リサイクルという言葉を、巷でささやかれる以前に、小倉山自治会住民を諭し、いち早くごみを分別して出す住人にするなどして、その心を定着させた。

 大いに感化された私は、1986年春に、妻が近所の主婦の協力を得て喫茶店の経営することになったが、幾つかの条件を付けている。その1つは、庭の無料開放であり、1つは有償の宣伝広告を一切しないとの約束であった。その時に「禁煙喫茶店」にもさせたが、それが日本初の「禁煙飲食店」の打ち出しにさせている。

 また、開店に際して、最寄りのポリスボックスに、試し焼きのオリジナルケーキを持参し、挨拶に行かせている。カストマーとしてふさわしくない人は「通報したい」とのお願いだった。たとえば、「禁煙」に従わず、「金を出せば客だろう」と息巻く人などには警告し、聞き入れてもらえなければ通報し、捕まえに来てほしい、と願い出た。なにせその日まで、専業主婦であった人たちに助けてもらっての運営だ。しかも、先代住職の感化を受けた近所の主婦たちであった。そのおかげで、先代住職にもすぐに認知され、お客さんをしてもらえた。

 庭の無料開放(居宅部分は除く)は10数年続けたが、日本ミツバチの飼育を機に踏み込める範囲を3分の1に制限した。だが、有償の宣伝広告は今も一切していない。「セールスプロモーション」ではなく、「カストマーズケアー」を尊重すべし、との考えだ。

 現住職は、先代存命中はその陰で、境内の緑化や美化に励み、今の姿に仕立てあげた。この水曜日に訪ねた折に、参道で「カンアオイ」や「ホトトギス」の定着ぶりに触れたが感心し、植生に精通した長年の精進に脱帽した。先代亡きあとは、その跡を継ぐだけでなく、小倉池(法的には京都市の所有だが、小倉山自治会の管理下にある)については、実質的な管理者として守るなど、その清廉潔白な活動を見事に継いでいる。

 こうした「カストマーズケアー」の風土が培った地に踏み込み、京都市が定めた「客引き行為」などを禁止する条例にはなはだしく反する「セールスプロモーション」方式を持ち込みながら、「文化度を高めている」という発言に、多くの人が不安を抱き、反発し、なかには恐怖心までつのらせるに至っている。

 その端々に、見過ごしがたい表現も散見されるまでになった。たとえば、「この美意識がお分かりにならない方は、どうぞ」と、通り過ぎ去らせようとする手振りをする。また、「3000円は高すぎる」という人には「3万円でも安いぐらいですよ」とやり返す。

 この金曜日には、2人連れの女性がアイトワに来店し、憤る心の内を訴えた。「『ここは大人の隠れ場です』と言われたのですが、あそこは何ですか」「気持ちが悪かった」という。

 ちなみに、自慢話しめくが「セールスプロモーション」ではなく「カストマーズケアー」が大事になる時代、企業の社会的責任が問われる時代になると、わが国で初めて文字にしたのは拙著『「想い」を売る会社』(1998年)だが、その心は常寂光寺の先代住職と地域住民に気付かせられたものである。

 余談だが、VWも酷い話だが、日本企業の不正も目に余る昨今だ。「セールスプロモーション」型の体質を抜本的に改めない限り、こうなる事は目に見えていた。だからバブルの最中に、バブルにも警鐘を鳴らす『人と地球に優しい企業』(1990年)を著し、日本経済新聞社に採用してもらおうとした。それがかなわず、その検証編としてこの一書を構想し、日本経済新聞社に取り上げてもらった経緯がある。企業体質は、改めるには数年の歳月を要しそうだ。
 


参道で「カンアオイ」や「ホトトギス」の定着ぶり