お二人の夫

 

 コメ農家の友人とは、スリランカ旅行で知り合っており、それが縁で米を定期的に求めるようになった。このたび小説家志望だったと知った友人は、新聞記者だった。

 この新聞記者とは神戸時代に知り合った。その考え方に痛く共鳴し、わが家に訪ねてもらえるまでの仲になった。そのおかげで、私なりの取材法を知ってもらえたようで、それまでは文字にしても新聞や雑誌に乗せてもらえなかった一文を受け入れてもらったこともある。それは、水俣で、今は亡き語り部・杉本栄子さんのお宅で泊めてもらった時に効かされた話「自然のいとなみ」だった。かつて医学会は、毒物が母の体内に入ったとしても胎児には送り込ませない、と考えていた。

 私は、杉本さんの話を聞いて、母体は、ばい菌や回虫など生物を胎児に送り込まずに済ませるフィルターを備えていても、かつて地球上になかった化学物質など無機的な毒物は通してしまうのではないか、と考えた。また、医学の世話になれない海鳥は、どのようにして優勢遺伝システムを活かし、末裔を守るのだろうか、とも考えた。そこで、聞いたままを文字にしたが、井上照弥さんはフィルターをかけずに、通してくれた。

 コメ農家の友人は、まさに、本来の日本流「原則」をまともに護る人で、その夫人や息子もこの「原則」を引き継いでいるはずだ。「無農薬・有機栽培で育てた米を提供する。ただし、万一の時は一度だけ農薬を使うことがありうることを覚悟してほしい」との「原則」だった。つまり、当人の信用と、あらん限りの能力にかけて、約束したことを守る、とう「原則」で、原則は無農薬・有機栽培の米を私は食している。

 こうした人が夭逝し、実に悲しい。しみじみと失ったことを悔やんだ。

 コメ農家の奥さんと息子は、亡き父の遺志を継いで頑張っている。よき我を張り続けてほしい。当週は日本企業の不正が続出しただけに、その想いを強くする。本来の日本流「原則」をまともに護り通してほしい。