無事に日程をこなしました

 

 無事に、と言っていいのか悪いのか、少しと戸惑う。帰宅してから妻に報告し、「悪いに決まっています」と叱られたのだから。それは、前日に分かっていた大失態。それだけに、とても気にかけながら出発した。

 実は、2日前に「ご仏前に」と供花をおくったが、翌日その当の本人から電話があり、ビックリ仰天。同時に、とでも嬉しかった。「それは森さん。兄貴じゃ」「兄貴が」に始まり、「兄貴のところに届けさそうか」と言ってもらえた。その「兄貴さん」とも私は顔見知り以上の仲であった。だから。「よろしくお願いします」と応えながら、胸をなでおろした。

 この出張で、知り得たことがある。1965年にさかのぼることだ。私はその年に、伊藤忠で「ジーンズを取扱商品にすべき」だと提唱し、「森君、バカなことを言うな」と課長に叱られた。その年から、供花をこのたび贈った人が主要なメンバーとなって、国産ジーンズの生産を初めていた。知った、というより「そうであったンだ」と追認した

 なぜ私は、ジーンズに手を出すことを提唱し、そして叱られたのか。当時は、大手商社はいずれも繊維部門はあったが、原料しか扱っていなかった。にもかかわらず「製品を扱うべし」と提唱し、しかも「ジーンズを」と叫んだものだから、叱られた。「森君、ジーンズは一番危ない商品だ」、つまり、洗えば色落ちはするし、縮みもする。クレームが最も発生しやすい商品だ、との説教だった。でも、あきらめていない。「森君、あんなもん女の子 にはかせてみろ、股ずれしてエライことになるゾ」とまで怒鳴られた。でもあきらめなかった。それがヨカッタ。

 その証拠に、このたびの出張にも結び付けてくれたわけだし、その前に供花で大失態をしでかしながら「兄貴のところに届けさそうか」と言ってもらえたわけだ。あるいは、それがキッカケで、今も大手商社の中では唯一、伊藤忠商事にだけ繊維部門が健全に残っており、しかも「ドル箱」の部門であるし、現社長の座に繊維部門出身者を附かせている、と断言できる。

 供花を贈った人も、その「兄貴さん」もジーンズで名を成した人だ(2006年)。ありがたいことに、その「兄貴さん」の息子が社長の座を継いでおり、この度は2度も会えた。一度目はニヤリとされたが「親父に花をいただき」と礼を言ってもらえた。2度目はスピーチ会場で、その人もスピーカーだったし、昼食を誘われた。おかげで、四国の讃岐以上に旨いうどんを御馳走になった。また、讃岐以上に旨いわけも教わった。だから「無事に日程を」と言いたくなったわけではない。

 児島の駅にジーンズ尽くしで迎えられたホテルで迎えた旭は美しかった朝日を浴びながら一番風呂を使ったがそれもヨカッタ。見事な展望だった。バブル時の傷跡にも学ばされた、

 スピーチでは、「時代の変わり目を私に教えてくれたのがジーンズだった」と話すこともできた。なぜ時代の変わり目と感じ得たのかも説明できた。それは「男はスーツ、女はドレスかスーツ」が当たり前だった1960年代初期に、NYやロスアンジェルスの市街地でジーンズ姿の若者が現れたからだ。それを世間では若者の「ファッション」と見た。だが、私は「ムーブメント」と見た。そして、その意味するところを掘り下げた。つまり、目新しい「形」としてとらえるのではなく、その形を次々と生み出させる元の「型」が気になった。さらに、その「型」を固めさせた「方」が気になった。つまり、原因である一軍の若者の考え方や生き方の変化が気になった。

 おかげで、ジーンズはわが国でも普及したし、私も「ファッションシステム」というソフトウエア―を売る子会社を作らせてもらい、そのチーフプランナーにしてもらえた。そのおかげで、後年、網田さんと知り合い、毎月アイトワ塾で会してきたし、一緒に児島を訪ねることもできた

 だが、わが国では1974年ごろに「ジーンズ市場」の未来が危ぶまれている。ジーンズも一過性のファッションではないか、と危惧された。その折に、私は「定着する」との意見を表明している。その経緯を、この度は、「戦略」「戦術」「戦闘」と言うなどして、あるいは「創る」「造る」「作る」と置き換えるなどして、戦略」を間違うと、泥沼のごとき「戦闘」を強いることになり、悲惨だ、と言いもした。

 もちろん、心の内では「安倍総理一味」が「戦術」として「一億総活性化社会」を打ち出し「GDP600兆円」をうたいあげ、国民に果敢な「戦闘」をよびかけたが、肝心の「戦略」を間違えている、と言いたかったが、言っていない。

 次第に「一億総活性化社会」は、税制などを通して「玉砕」にも近い考え方だと分かるだろう。いわば「エコノミックアニマル」の再来を予感させる。

 あれだけジャブジャブ寄付をしてきたのに「南京虐殺」を世界遺産にするなんて、と安倍総理一味は嘆いたが、それを言うなら、その前に、すべて日本がいただいた世界遺産を、「こんなインチキ」とばかりに返上すべきだ。日本は今、尊敬される日本になる事を求められている。

 

追認した

「兄貴さん」もジーンズで名を成した人だ(2006年)
右の人物

ジーンズ尽くしで迎えられた

ジーンズ尽くしで迎えられた

ホテルで迎えた旭は美しかった

朝日を浴びながら一番風呂

バブル時の傷跡

一緒に児島を訪ねることもできた

一緒に児島を訪ねることもできた