こしらえてもらえた一昼夜

 

 鶴田夫妻は、静かな革命家だ。だから私は、農家でよかった、と思っている。平和な時代でヨカッタというわけだ。さもなければ「静かな」などと言っておれなかったと思う。国家の指し示す方向に逆らい、今日の成功に至っているからだ。

 物静かに、互いにいたわりあっている夫婦だ、とこの度も実感した。2人は伊丹から熊本に向けて飛行機の人になったけれど、空の旅がピッタリの夫婦だ、一心同体だと思う。

 この度は、その2人にやっとこしらえてもらえた日程だった。それだけに私は困った。その日程は私の児島出張と半ばダブっていたからだ。そこで、私たちを引き合わせてくれた吉田さんと相談し、ものすごく多忙な吉田さんに、半日の肩代わりしてもらうことになった。

 吉田さんも、無農薬有機栽培の原料を用い、無添加物で煮る佃煮を、今は日々自ら煮る身になっており、急遽の割り込みは大変だったと思う。でも、おかげで、6人は忙中閑の尊さを、直接間接に満喫できた、ように思う。重々お互いの多忙さを知っているだけに、この機会を流したくなかった。おかげで、楽しい時間になった

 おもえば、田夫人は、夫の忙しさを肩代わりしたわけだ。だから、一番大変だったと思う。でもきっと、意気とやる気を燃やしてもらえたのではないか、と身勝手ながら考えている。なにせ鶴田夫妻は、今年はとりわけ大変な早秋を過ごしている。風速58mの台風が田浦を襲い、なぎ倒された防風林の始末や、2000本とかのミカンの木を立て直す必要に迫られたからだ、片時も横着が許されない日々の合間にこしらえてもらえた1泊2日だった。

 400年の歴史を誇る農家だが、柑橘類の栽培では苦労の連続であった、と思う。国家の方針は、オレンジの自由化に備え、あるいはアメリカなどの大規模農業に備え、搾り出されたのだろう。それに、鶴田一家は不安と疑問を見出したのだろう、逆らったようなことをした。

 国が温州ミカンの栽培を全国的に推し進めた時も逆らった。国が打ち出す優遇策の恩恵には一切世話に成れず、愚かな変わり者と見なされたり、可愛くないやつと睨まれたり、やがては目には見えない圧迫を受けながら、今日に至っている。いつの日にか国にも分かってもらえるだろう、との真の報国制神に背中を押し続けられてきたのだろう。

 その想いが「アマナツミカン」の開発であり、それが一息をつかせたようだ。だが、そう長くは続かなかった。やがて国は農業の工業化に狂奔しはじめる。それは農薬や化学肥料を多用し、機械化を推し進める農業の推進だが、ここでまた、国の方針に逆らったようなことになってしまう、もちろん、国はそれが救国の農法と思っていたのだろう。

 鶴田一家は、一家が生み出す農産物を、誰が食べるのかを常に気にしている。あるいは「自分にされたくないことは、他の人にもしたくない」との想いがとても強そうだ。平たく言えば「量より質が気になる」ようだし「儲かるか、儲からないかの前に」気になるのが苦労する意義にある、といってよい。だから、厭離庵では玄果和尚に「方」「型」「形」を持ち出して、鶴田夫妻を紹介したくなった。

 朝の庭めぐりでは、気になっていた小ユズの病状やキンカンの剪定のまずさを教えられた。この助言に沿って手が下せる2月が待ち遠しい。