話がとても弾んだ

 

 松尾素直さんの紹介だったが、それがこのたびの2人との話しを(短い時間であったけれど)とても弾ませた、と思う。なにせ松尾さんは、学生時代に、わが家のコンクリプールを起点とした排水装置造りにも関わっている。この(それまでの排水能力を3倍にした)装置の)おかげで、わが家はすでに2度も救われている。こうした装置の必要性は、何年か前の「50年に一度」といわれた大雨が生じさせものたが、その翌年にそれ以上の大雨に襲われるなど、この装置のおかげで事なきを得ている。

 このたびの2人の女子学生は、土地柄が大きく異なる出生地だったが、2人には2つの共通点があり、その因と果の関係と思われる共通点が、この2人を強く結びつけている、と思われた。

 1人は、郷里では今も薪風呂を用いており、その快適さを語った。また、アリス・ウォーターについて質問もした。もう1人は、NZの北島(私の友人が住んでいる一帯)で気付かされたという自然に、自然美に畏敬の念を払っていた。そして、共に似た母親の生活信条を誇りにしていた。

 ちなみに、アリス・ウォーターとは、有機栽培食材の普及やそのレストラン(シェ・パニス)などで今や日本でも有名な人だ。かねてから私は注目してきた。彼女の提案で始まった食育(エディブルスクールヤードの成果)がアメリカで大きく報道され、私は1995年来数年にわたって毎年エディブルスクールヤード(とても荒れた小中一貫公立学校で実践された有機栽培農園。彼女が提唱し、推進した)プログラムを見学するために訪れ、観察しつづけたし、シェ・パニスも訪れ、彼女とも語らった(2001年)。そのいきさつなどをこのたび質問され、応えた。

 この2人とは互いに元気を与えあえたかもしれない。2人を見送った後、私は2本のキハダの剪定に取り組んでいる。次いで、2人がミョウガを抜き取った跡に手を付け、片づけた。カマと手バサミで、ロウアガキが根を広げ、次々と根から芽吹かせた若い木立と、キンギョソウやミズヒキを刈り取ったわけだ。さらに、2人が刈り取って堆肥の山の側まで運んだジンジャーを、2人が積み上げたミョウガの上に積みたした。久しぶりに立派な山になった。最後は、2人が刈り取ったレモングラスを整理して、入浴剤に用いる分を屋内に持ち込んだ。持ち込みながら、2人のもう1つの共通点に思いを馳せている。

 2人は、母親の生活信条のおかげで健康な体に恵まれたが、同じように健康な末裔を引き継ぐ責務を感じている、と発言していた。だから、私は調子づいて、児島出張の道中で知り得たにわか仕込みの知識も折り込み、明るい日本の未来を語った。それを思い出した

 1つは、「人は限りなく多様だけれど」と前置きした上で、同志社大学大学院・司法研究科松井隆英教授が何かで触れた「人の分け方」の紹介だった。

 同氏は次のように語っていた。「世の中には『天に向かってつばを吐く人』と、『地に向かって土を耕す人』の二種類の人間しかいないと言われている。他人への不満、悪口ばかり言っている人と、他人への感謝の気持ちを持ち続けている人の二種類の人間という意味で、人間関係のあり方の基本を示していると思える」との人間観だった。

 この話を引用し、「夫婦ゲンカは、二つに分けた方がよい」と、こじ着けた。「重ねるたびに溝を広げるケンカがある」。わが家では、先ほどもケンカをしたが「重ねるたびに互いの理解度を深め、かけがえにない間柄にするケンカもある」と、期待論を展開した。

 要は、根本的な価値観や美意識の共有が大切であり、ケンカはその深度や理解度を深める手段であって欲しいものだ、と言いたかった。

 2つ目は、英国人紀行家イザベラ・バードが1875年に、会津若松の大内宿で見聞したことをはじめ、当時来日・滞在した西欧人が見た日本人観を紹介した。「貧しさを恥じと していない」「正直と礼節を旨としている」と記し残してぃとが多い。

 ところが、イザベラ・バードは、当時とてもさびれていた大内宿では、貧しさの極限を見ており「ここの人々の生き方は正直なわけでも清らかなわけでもない」とことわりながら、「わが子をこれほどかわいがる人々を、これまで見たことがない」と書き残している

 要は、こうした日本人観が生きている間は(日本には)夢がある。「サムライ・ニッポン」にたいする期待がある間にすべきことがある。「たとえば」と、具体的な事例をあげながら、行き詰まりつつある工業社会からいち早く脱却し、未来に展望を開いて見せることだ、と訴えた。

 夕食後の夜なべ仕事にも力が入った。それは2度目のシホウチクを収穫していた妻のおかげでもあった。その皮むきを手伝うことになり、「ならば」と、妻が洗い物をしている間に、2人の学生が収穫し、今に持ち込んでいたレオングラスを刻み、干すことにした。そのついでに、すでに干しあがっていたバジルにも手を出した。

 バジルは、まず太い軸を取り除き、葉は香辛料に、細い軸は入浴剤にした。さらに、取り除いた太い軸を「湯船に」と、妻が言い出したので、それも適度に刻んだ。そして、「風呂の焚口」に放り込めば「良い香りがするかもしれない」とか、「ながばアップルセ−ジの軸も」とその活かし方に思いを馳せた。

 


プログラムを見学するために訪れ
(エディブルスクールヤード)


プログラムを見学するために訪れ
(エディブルスクールヤード)

プログラムを見学するために訪れ
(エディブルスクールヤード)

プログラムを見学するために訪れ
(エディブルスクールヤード)

シェ・パニスも訪れ、彼女とも語らった(2001年)

キンギョソウやミズヒキを刈り取った

刈り取り後

久しぶりに立派な山になった

葉は香辛料に、細い軸は入浴剤にした