これも有意義

 

  志賀ご夫妻に、野生のナシの木の苗木、ヤマユリの球根と種、あるいは栗など土産をたくさんいただいた。そして、かつてもらったコシアブラの苗木が、1本だけ根付きそうになっている状況を見てもらった。

 火曜日と木曜日の家族と同様に、ヒノキ林を気に入ってもらえた。カラスかヒヨの糞から育ったと思われるシブガキやモクレン、イノシシの糞から育ったに違いないカシやヤマグリ、あるいは小鳥の糞からだと見るヤマザクラやモチなどの高木から、アリトオシのような低木など「森のようですね」と褒めてもらえた。

 囲炉裏場では、緑の天蓋を作らせるクルミの手入れ法を学べたのもヨカッタ。

 当週3度目の市中には車で連れて行ってもらえたが、ある教えを学ぶ集いだった。獣害対策の権威であり、狩猟の名人でもある京大の先生から、この日は獣害対策について学んだ。

 ケモノの色別能力についての質問に、奈良には「信号待ちするシカ」がいる、との答えがあり、とても心惹かれた。シカは2.5mほどの塀まで飛び越える能力はあるが、などとその習性などを学べたのもヨカッタ。最大の収穫は、心構えだと知り、痛く得心した。「気」の問題だろう。

 「獲る」と「防除」はまったく違い、「獲る」心構えが大事だと思わせられた。

 わが家では、獣害が続き、その気配から「庭に侵入している」と思われると、私は庭に飛び出す。その時に己に言い聞かせることがある。バットなどを手に握りしめ「ぶち殺して、食ってやる」と本気で叫んだいする。だが、妻は「私は知りませんよ」「料理は勝手にしてください」などの台詞といつも背中に浴びせてくる。

 妻は常に「防除」の心であり、「狩猟」と違って、相手の心まで読み、その裏も突く知恵まで絞り出そうとする心構えがまったくない。だからケモノに舐められてしまう。

 舐められて、いったん入れてしまうと、大変だ。少々の危険を冒しても入る値打ちがあると気付かせてしまえば、大変だ。次元を1つ上にした戦いになってしまう。私にとっての獣害対策は、この妻のケモノに舐められかねないココロとの闘いであうのかもしれない。

 今週も、コノハチョウが屋内に飛び込んできたが、妻は手なずけた。