「週報」

 

 どうして今まで週記ではなく、週報にしてこなかったのだろうか、と思った。毎週毎週、欠かさずに続けてこられた理由を振り返った。

 第一の理由は、後藤さんとルーチン化したことだろう。私は「後藤さんに来てもらう日が」と意識して励んだし、きっと後藤さんも、私が「待っているのだから」と気になったことだろう。

 そして、2人ともに元気であったことだ。私が、拡張性心筋症で入院した時も、後藤さんは見舞いがてらに様子を伺い、ノート型コンピューターをベッドに持ち込んでくれた。私は望むところで嬉しかったが、看護婦さんは「大丈夫ですか」と驚いた。

 数日前に、幼児がこの病気で、アメリカで手術を受けることになり、寄付を募り、2億7千万円が集まったことがニュ−スになった。私は、死の宣告をされたような心境の下で、どのような文章を記せるのか、その心境の影響に興味があった。丁度その時、『エコトピア便り』の写真キャプションの締切期限が迫っていた。死ぬ前に書き残しておきたかった。

 それはどうしてか、と考えた。若者のためだ。未来に希望を失いかけている若者で、一点の光の求めている若者がいたとすれば、その人のためだ。あるいは、壮年期を一心にビジネス社会に翻弄され、その後の長い余生の準備が十分にできていない給与所得者のためだ、とも考えた。

 お金で手に入れられないモノを、自らの手で創出できる道がある。しかもそれが、結構人生を楽しくしてくれる。ちょいと一杯の酒で使い果たすほどのお金で、道具を買えば、あるいは資材を買い求めれば、オリジナルを生み出せる。それが、生きる術や生きる自信さえ与えてくれる、少なくとも、生きている実感をカラダだけではなく、魂のレベルに与えてくれる。

 そうした生き方が、その気になれば案外容易に手に入る、と知ってもらいたい。その気持ちが、膨大な時間を費やさせる理由ではないか。だから続けられた。ならば、週記ではなく、週報ではないか、と今頃になって気付かされた。生きている間に気付けて良かった、と思う。