初めて知るエピソード
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帰途の車中でも会話が弾み、楽しかった。その1つは、私には「未来の先取り」と思えた。未来はモノからココロへ、量から質へと転換する(に違いない)と見ているが、その未来の先取りだ。さらに一歩進んだ未来は、コピーよりオリジナルを志向するに違いない。その未来の先取りでもある。 1枚のレインコートが話題になった。きっと、妻から夫への贈りものだろう。この長年愛用されたバーバリーのコートに注がれた想いに、私はとても興味を惹かれた。 長年の愛用で裾が弱り、袖口が切れた。そこで手縫いでパイピングが施された。さらなる年月に堪え、襟が切れてしまった。そこで、「父の日」に娘から贈られたハンカチを、夫が大事にしまっていたことを妻は思い出し、襟に活かした。かくして、お金を出せば誰にでも買い求めることができるコピーではなく、世界でたった1点のオリジナルになった。それはお誂えで生み出せるオリジナルワンにとどまらない、その人ならではの固有の思い入れと、創造の喜びが生み出させた代物であり、当事者でなければその価値を計り知ることができない銘々品になった。 来たる12月5日に私はスピーチの機会を得ている。リクチュール企画の京都での催しだ。このエピソードをこのスピーチで是非とも私は活かしたくなった。時代はこれから大きく変わる。その次代に備えるヒントがこのエピソードにはある。この延長線上に、未来を明るくするヒントがある。 これまでは「欲望の解放」が誘う、つまり「見えざる手」が誘う「願望の未来」を切り拓けばコトがうまく運び、収益を生み出す時代であった。しかし、それが限界を超えてしまった。つまり地球の許容能力を超えてしまい、目先の収益よりはるかに大きな負の遺産を将来世代に引き継がせかねないことが火を見るより明らかになって来た。その好例は原発だろう。 これからは「必然の未来」に立ち向かわなければならない、と見るのがあるべき姿だろう。それは決して辛いことではなく、あるいは貧しくなる事でもない。むしろ逆だ。より高度な豊かさの時代に私たちを誘うだろう。これまでの「欲望の解放」とは次元を異にする豊かさであり、目には見えにくいかもしれない。 なぜなら「人間の解放」を希求する時代になる、と見て間違いないからだ。かつての豊かさはゴミの増大をバロメーターにできたが、「人間の解放」を推し量る尺度はそうはゆかない。目には見えにくい。各人がもって生まれた潜在能力の発露具合などが問われるからだ。 これは安倍首相には歓迎されない価値観だろう。GDP600兆円構想に反する美意識であり、価値観だろう。安倍首相はいまだに「願望の未来」を希求するいわば化石のごとき発想にとどまっている。それは、心して付き合わないと、あるいは覚悟して ついて行かないといけない発想だ、とみたよいはずだ。 なぜなら、突き詰めればテロを誘引することを承知の上での強引さ、と見て良いからだ。その心は、神奈川県石井彰さんが朝日川柳(11月19日木)で言い当てているのでそれに譲りたい。やがて「言いだし兼ねん治安維持法」の一句だ。 そうした強引さに、戦前の日本国民は酔いしれてしまい、悪酔いした。私たちは酔いつぶれる心配はないか。大丈夫か。どうやら心配しなければならない時期に至っているようだ。その危惧の念も、ないしは警鐘も、東京都の三神玲子さんの一句に譲りたい。「我々もくらっています猫だまし」(朝日川柳11月19日木)。横綱は優勝のためなら猫だましまでしたいのだろうか。 |
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手縫いでパイピング |
手縫いでパイピング |
襟に活かした |
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