でも

 きっと、2年ほどすれば「お見事」と言ってもらえるようになるはずだ。つまりこの処置で、この木が孕(はら)みかけていた矛盾を解消させ、妻を喜ばせたい。

 あのままでは、妻の願っていたようにこの木が育ち、花を咲かせはしたであろう。だが、そお成長が妻を悩ませる原因になる。大きく育つにしたがって、後ろにある出窓を陰にしてしまい、妻を困らせる。そこで、次善策との手を打った。

 でも、この手を打った真の狙いは別にある。「夫婦ゲンカの合理化策」として活かせるに違いない、と願っての強行だ。

 わが家ではシバシバ夫婦ゲンカをする。それは、ケンカの度に夫婦がより仲良くなるためのやむおえない事態、と私はあきらめている。だが、妻にはすぐにはそうとは理解できず、シバシバ猛然と突っかかってくる。その率を減らすための、それなりの秘策だ。

 ケンカの原因自体は、言ってしまえばタワイがない。あえていえば、共同生活を円滑にするための具体策だ。たとえば、ガスの種火の消し忘れとか、風呂を焚かす時に用いたマッチの置き忘れ、あるいは爪切りの仕爪切りだけでなくドライバーセットが5つも6つもある。もちろんそれは、私にも大いに責任がある。私の側にも弱味がある。

 私は所定の場所に仕舞って置いたのに、また妻が勝手に取り出し、使っておきながら、返し忘れたのだろうと思い、「また、どこへやった」とよく怒鳴ってしまう。

 妻はどなられ、「またやってしまった」と思うのか、あっちこっち駆けずり回る。その最中に、私は「元通りに仕舞うのは1分で済むこと。君は、こうして駆けずり回るために人生の5分の1ぐらいを浪費している」と追い打ちをかけてしまう。

 だが、悲しいことに、「また妻がやらかした」と思って大騒ぎした100回に1回ぐらいは、私の置き忘れであったことがある。私も仕舞忘れることがある。それが、100回に1回でも、妻はよく覚えており、その1回を100回の屁理屈に利用する。

 それだけでは済まない。「そもそも」と妻は怒り出す。「あの言い方は何ですか」と開き直らせてしまう。そのつど「スマン」と詫びるのだが、それも積重なれば5回、10回となる。その5回、10回を妻はキチンと覚えており、妻の50回100回の時に活かしてくる。

 だからといって、このたびの強行切り取りになったわけではない。もっと次元が上の夫婦ゲンカを未然に防ぐてだてとして活かしたくなっている。このたびの切り取りを、強烈な思い出の1つとして残させて、この手の問題を未然に思いとどまらせたい。この種をまけば、後はどうなるのか、何に結び付いて行くか、つまり、因果関係を考えなければならないときに、活かしたい。引用したい。