善後策

 

 使っていない井戸だが、埋める気になれず、さんざん悩まされている。その原因は2つ。1つは被害だが、もう1つは自己責任の問題だ。それは、井戸がある所に地下構造の建物を造りたくなり、4mほど掘り下げたことだ。

 それがために、被害の問題が重なって、水位が上がった時に強制排水する必要性が生じた。さらにその後、ゲリラ豪雨に襲われる時代となり、設置した揚水能力を超える水位上昇が生じる事態に見舞われるようになった。サア大変。

 排水力を追加するために、可動式水中ポンプを別途用意した。だが、イザという時に、停電も起り得る。サテどうするか。今はエンジン式の可動式排水ポンプを水島さんから借りている。水島さんに、井戸にハッチを取り付けてもらった のが契機で、万一に備えている。

 まだこの段階だが、このたび揚水ポンプが故障した。もちろん、傷んだポンプは付け替えた。問題はその揚水能力を超えた場合と、ビクビク問題(イザという豪雨時は雷をともないがちで、停電しやすい)は残っている。中尾さんと、水道工事の専門家を交え思案した。

 そこで、物理的な排水も試みることにした。

 中尾さんが、大きな体をハッチに沈め、電気工事に当たる姿を見つめながら、私なりの結論を出した。井戸の底から湧き上がる水圧で押し上げられた水が、後は自然に流れ去るか否か、を検討するために実験もした。残念ながら、流れ去らなかった。

 要は、揚水ポンプの馬力で水圧をかけ、捨て去る構造になっていた。それは、ゲリラ豪雨など想定せず、モーターは故障せず、しかも、停電もないことまで前提にした期待だ。同期生であり友人の、女性建築家の設計だが、ちょっと甘かったゾ、と思った。

 さて、どうするか。ハッチはいかなる圧力まで耐えてくれるか。またぞろ、私なりの結論を出す必要性に迫られ、「面白い」と思った。そしてすぐに反省した。昔に見た、記録映画を思い出したわけだが、だから男はダメなんだと思わせられた。

 それは戦争の実録だった。ロンメル将軍が、連合軍を迎ええ打たざるを得なくなり、海岸線に武器を配備する指揮をしていた。吾ごとのように見入り、面白かった。

 だがこれも、アイデンティティの問題だろうと思った。自己同一化の範囲をどこまで自己責任の下に広げ、生きている実感を深め、己の魂に責任感や意義に目覚めさせ、生きがいにするか。それを減らして、嫌気に生き、死生観を避けて通る生き方もある。私には、そのどっちもダメダ、と思った

 結局、私がリスクを覚悟し、実験に望む以外に道はない、と気付かされた。そしてこれが地球環境も含めた四方得、4者に幸せをもたらす方式、と思う案をひねり出した。
 


電気工事

自然に流れ去るか否か