かつて私は、日本は「おかしい」「おかしくなっている」と感じ取っており、「このままでいいんですか」との想いがつのったことがある。そこで、希望をより確かなものにしたくて、人生のありようを「七期(いかに生れるかから始まり、いかに逝去するかに至る7つのせい、生、成、醒、盛、棲、省、逝)」を考え直そうとした。
その時に、ほぼ原稿が出来上がりながら、1つだけ、実例(よきノンフィクション例)がなく「2次引用」か「論」にせざるを得なくなり、困った。書店を探しても、当時はまだ「逝」に関する、つまり「死」を掘り下げた書籍がほとんどなかった。死がブームのごとく取り上げられるようになったのは後年のことだ。
さて、どうするか、と悩んでいると、「100歳まで生きる」と頑張り始めていた父が、唐突に死期を迎えた。その経緯を『このままでいいんですか もうひとつの生き方をもとめて』 でリアルタイムに記すことができた。
甥が夜にかけてきた電話での助言に心が揺れた。翌朝、かかりつけの医者に「これなら」と、血圧などを調べた上で、延命効果が無きにしもあらず、と言われた時も心が揺れた。
結果、脳こうそくで倒れ、意識や痛感がなくなっていた父が、その医者や家族(甥の母である夫婦も含め)の目の前で、私の迷いを解消する確実なサインを送ってくれた。そのサインを見て、死は幾つもの側面を有していることを目の当たりにした。
「もう一度、あの記録を読み直そう」と思った。波乱の時代を生きた父の死は、まさにアイデンティティの問題を私に突きつけ、私のアイデンティティの一環に組み込ませてもらった。同時に、人生とは「終わりが良ければすべて良し」「その逆も真なり」と思わせられるようになった。
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