阿部ファミリー

 

 寿也さんが、奥さんの仁美さんに「幾度となく命を救ってもらった」と話していたことを思い出した。彼の場合は、仁美さんの看護婦としての知識と手当のおかげだろう。つまり、科学的・医学的だが、わが家の場合はすこぶる物理的だった。

 段差がある場所だったので無理をした三脚脚立の立て方がマズかった。そこは砂利引き(バラスの上)で、滑りやすかった。1本脚の先が体重に耐えかね、ズズズっとすべり出した。たまたま野菜を取りに出た妻が側を通りかかっていたのが幸いした。妻は素早く、我を忘れたかのように脚立に飛びつき、しがみついた。

 一瞬遅れていたら、下はコンクリート製の排水枡花壇。脚立とコンクリート製排水枡が私の脚に絡みつくようなことになり、痛い目をしていたことだろう。チョッと大げさだが「命拾いした」と思った。少なくとも、脚の骨ぐらいは折っていただろうし、ひっくり返ってどこかで頭を打っていたかもしれない。

 妻は顔を歪め、肩をさすりながら「もう、いい加減にやめて下ださい」と迫って来たが、そうは行かない。脚立を立て直し、「大丈夫。砂利をかき退けたからもう大丈夫」と言った。急いでいた妻は「聴きましたヨ」「知りませんヨ」と言いのこして立ち去った。

 ひと息入れ、胸をなでおろしたが、このときに阿部ファミリーのことを思い出した。そして「元気にしているかなぁ」とファミリーを偲んだ。同時に、この日最後の仕事、喫茶店が終わってから手を付けたモクレンの剪定に移った。また三脚脚立の天板に立たざるを得なかった。案の定、妻に見つかり「いい加減にしてください」とまた叱られた。だが私にも言い分がある。それは、突拍子もない屁理屈、と言われそうだが、テロや難民問題とも関係がある。在る、と私は思う真面目な話だ。テロや難民問題の原因は工業社会が造っている。単なる貧困問題ではない。工業社会が、当たり前のごとくに繰り広げている1つの地球で済まない生き方自体その原因だ、と気付き、改めない限り、テロや難民問題は収まるまい。

 かといって、テロや難民問題に同情はしても、間違っても加勢は出来ない。彼らに対しても言いたいことが山ほどある。まず第一に、命がけで海に漕ぎ出したり、命を張った自爆テロに走ったりする前に、すべきことがある、命を懸けて成すべきことがある、と言いたい。