ヨルダンの様子

 

 この日同道の長女母子は、オーストラリアを引き上げ、京都で定住することになった、いわば挨拶。ご主人にはすでに会っている。

 宙八さんは少し脚をいため、杖を使う身だったので、タップリ話し合う時間を持てた。というのは、ちあきさんと長女母子は散歩にでかけ、その間は2人で、会話をタップリ楽しんだ。ひょっとしたら、この日がモミジの一番ましな日であったのかもしれない。この夜から雨が降り出し、強くはなかったけれど、落葉を加速させた。

 末息子の卓道さんはすっかりアラビア語をマスターしていたとのこと。

 宙八さんが、ヨルダンで一番印象に残ったことは、ひょっとしたら、イスラムの1つの特色。女性がとても大切にされていること、ではなかったか。

 西洋の人たちは、西洋の考え方でそれも観察しながら、誤解している恐れがある、と私は感じている。簡単な事例は一夫多妻。戦乱が続く時代に、これは一種の社会福祉として始まったこと、と言ってよい。だから、女性の大切にし方は、西欧のレディファーストとはわけが違う、と宙八さんも見たようだ。

 誤解を招きかねないことを承知の上で言えば、西洋のありようを日本の女性までが真似た結果、生まれ変わるなら「女性に」と答える女性が次第に増え、過半にした。他方、その副産物だろうか、わが国の子どもの貧困率はとても高くなった。また、母子家庭の過半が相対的貧困者に陥れられている。余談が過ぎた。

 宙八さんによれば、ドバイ経由でアンマンに入り、その日の内にJAICA事務局にたどり着き、所長や調査員との面談を済ませた。視察時の安全対策や、日頃の隊員の活動内容等についての説明を聴き、その後、日本大使館へ。大使館では、その厳重な警備とセキュリティーシステムを通して、この国が置かれている厳しい状況を実感したとか。どのホテルにも手荷物検査のためのレントゲン機器が設置されていたらしい。

 歴史的にヨルダンの国と人々がとても親日であること、また中東にあっては、ヨルダン国王がイスラム教の神、モハメッドの直系の子孫であること等もあるらしく、比較的中東の中では安定した立場にあることを知った。

 翌日からは、隊員と家族はマイクロバスをチャーターして、ヨルダン内の数少ない観光資源であるインディージョーンズの映画で有名になったベトラ遺跡の観光、砂漠のキャンプ生活体験、死海等の見物があり、その後は各自、隊員と三日程生活を共にして帰ってきた。

 ヨルダンを訪れ、日本で感じていた危険な中東問題が、単なる政治的な問題ばかりでなく、人々の暮しが抱える問題の中の一つなのだと分かった、とのこと。

 いずれにしても、ヨルダンが安心できる場所でないことだけは、むしろ、行ってみてはっきりとしたようにも感じたらしい。思いのほか、小さな国であり、田舎であり、途上国で、シリアとは国境を接しており、数十万と言う莫大な数の難民がイラクやシリアから流れ込んでいた、とか。
 


モミジの一番ましな日