アイトワの信条
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日々の暮らしを芸術化することもその1つ。それだけに、見学者には神経を払う。その目に映る姿が、期待とは逆になることがなきように、と願うからだ。 一人でも多くの人に、より幸せで豊かな人生を手に入れてもらいたくて、いわばモルモットのような役割を引き受けた一面がある。だが、いつしか他の人生など考えられなくなっている。アイトワの庭では今もそのすべての姿を垣間見ることができる。問題は、人によって、度の場面を見るかによって、反応が大いに変わることだ。 その気になれば、誰にでも手に入れられる生き方だから、参考にしてもらいたい。にもかかわらず、せっかく見学してもらいながら、逆効果になった例が幾つもある。だから、見学者には気をもまざるを得ないことが多い。 この庭は、この対極である枯山水の庭などと違い、シンドイ部分がある。偶然までが大いに関係し、影響を与えるからだ。枯山水の庭などと違い、落葉樹だけでなく、果実がなる木も多い。それは、より多くの野生動物を惹きつけ、この庭で暮らす動植物が直接恩恵にあずかり易くしているためだ。だ から、様子を刻々と変えるだけでなく、動植物の成長にも配慮しないといけない。つまり、庭の姿は瞬時としてじっとしておらず、人間の都合で好き勝手にならない。 例えて言えば、絵描きの作業室に入ってもらうような一面がある。描きかけの絵の方が想像性を掻き立てられ、楽しい、ドキドキするという人もいる。絵や彫刻なら、光の都合を気にする程度でよいが、この庭はやってくる野生動物の都合までを気にしなければならない。前夜、イノシシに襲われた様子を見て、ワクワクする人もいれば、恐れをなす人もいる。 何をいつ、どのように見てもらえばよいのか。それは相手によって変る。とりわけ、無農薬・有機栽培を標榜し、しかも自給自足率を高めようとすると、その多忙さに追いまくられかねないことがママあり、それが楽しそうに見える人もあれば、逆の人もある。 ヤマウドの新収穫法でいえば、仕上げた時点で観た方が評価の高い人もいる。逆に、仮の時点で見た方が、庭の様子から推測し「次に来た時の様子」を想像しドキドキする人もいる。竹のアーチでいえば、アーチの竹を引き抜いておいても気が付かない人もいる。もちろん、立て方が悪かったので引き抜いたのだろう、と見抜きワクワクしてもらえる人もいる。綺麗な弧を描くようにして立て直すために、竹の悪しきクセを直しているのだろう、と見抜けるからだ。 まるで、恋人を迎える若い娘のような心境にされる。キチンと化粧をした顔、素顔、寝起きの顔、病み上がりの顔、真剣に生業に取り組む顔あるいは元気溌剌で泳いだ後、海から上がったばかりのような顔など、どの顔を見てもらうのがよいのか、見てもらうべきか、とても気になる。 どの顔を見たい人が好ましいのか。それも難しい。当週は、学生の多くもそうだったし、とりわけ週末の来客は、こちらがワクワクさされた。週末の前者は日曜菜園にいそしんでいる人だったし、後者は「もう少し若ければ」とか「もう少し早く、気付いていたら」と2度にわたってつぶやいておられた。 |
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仕上げた時点で観た方が評価の高い人もいるだろう |
仕上げ後 |
竹のアーチ |
竹の悪しきクセを直しているのだろう、と感じ取り |
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