ひと悶着

 

 昨年は、このクボガキの木の「大きな上部」を切り取ったが、切り取った上部がグルッとト反転して落ち、その反動が怖かった。それと比べると、この度の剪定はずっと楽だ。しかし、「万一落ちたら一巻の終わりだ」ぐらいのことは私にも分かる。

 だからと言って、まだ無事に成し遂げる可能性があるのに、手をこまねいてはおれない。

 ハシゴを90度に、つまり垂直に立てたら、己の体重はカキの枝にかけずに済む。要は、消防の出初式でのハシゴ芸の要領だ。そのために、妻の手助けを求めたのに、落ちた場合の危険性ばかりを指摘し、ゴチャゴチャ意見を述べる。だから、「手助けを求めているのだ」と言ったが、「分かっているのなら止めてください」と、話にならない。

 「あっちへ行け」「ゴチャゴチャ言われるぐらいなら、1人でやる」とついに怒鳴った。だが、この日は、過日のごとく「偉そうに」とか「命令口調で」との反発はなかった。

 1人でやる場合は、スライド式梯子の傾斜を80度とか75度へと斜めにしないと、登っている己の自重でデングリ返ってしまいかねない。安全性を求めて傾斜をつけるに従って、ハシゴをかけている横に張ったカキの枝に負荷がかかりやすくなり、体重でボキッと裂きやすくする。

 「さて」と考えたが、妻はあっちに行かず、「生命保険をかけてもらっていませんからネ」と言った。シメタと思った。妻は精いっぱいの冗談でゴマカシ、あるいは、不本意な行動をする自分を下手なジョウダンでゴマカシ、手伝う気になった、と読めた。

 事なき得た。だが、この間、ゴチャゴチャ意見に10分余も割いた。そこで、カリンの剪定では妻にはナイショで実行し、事なきを得た。善い1週間だった。