熱い語らい

 

 この人は「すごい」、とかねがねお見受けしてきた。その後、幾度か接触の機会に恵まれ、2度ばかり、じっくり語らう機会も与えられた。その間にあって、この記事にも触れており、その想いを深めている。

 「ヒトを想う人だ」、決して「人を喰うヒトではない」と、不躾かつ身の程を知らない勝手な思い込みを心に焼き付けてきた。GDPなどを言葉巧みに叫び(エサやニンジンにして釣り)、生きる根底をあやふやにさせかねない「人を喰うヒト」がはびこっている世の中に合って、「違う」と勝手に思い込んできた。

 いつしか、この人に、なんとしてもアイトワのコンセプトを紹介し、評価を受けたい、と願うようになった。お嬢さんが、京都在住と知り、きっといつか、機会は巡ってくる、と睨み、この日・京都めぐりの日を待ち受けた。そして、ズルズルと翌朝まで引き延ばそうとハカリゴトを策した。応援団になってもらえた塾生や、網田さんに感謝だ。

 それにしても残念だったことは、私の配慮が足らず、お嬢さんには泊まってもらえなかっただけでなく、朝食にわざわざ出直してもらったのに、その後の庭めぐりにも参加してもらえなかったことだ。彼女は研究者だが、健康的な食生活の普及活動にも関わっている関係でTOSCAとも親しい間柄であった。それだけに、残念だった。

 いよいよ朝食後、アイトワのコンセプトを紹介するダンになった。短い時間であったが、それがかえってよかったようだ。傲慢な、かつ身の程を知らない言い方に聞こえそうだが、私も、こうした場合には同じことをすることがある。つまり、「もう少し早く知っておれば」と反省し、ありったけの資料を得て帰ろうとする。

 村上前東海村長にも、同じことをしていただけた。「もう少し早く知っておれば」とつぶやいてもらえただけでなく、アイトワの店頭にあったすべての拙著を「買う」と言(い張)っていただけた。京都めぐりの途中だ。「重そうですから」と言って宅急便を勧め、店頭にない残る拙著を忍び込ませ、押し付けることに成功した。

 もちろん、私もそうしてきたように、一読いただけた結果、これ限りのことになる覚悟もしている。逆に、こうしたことを機に私は幾度も海を渡るようなこともしてきた。それに比べたら日本は狭い。後は評価を、ドキドキしながら待つだけだ。

 願わくば、いつの日にか、これまでにもこうしてお一人ずつ知りあってきた人たちがあるが、その人たちと一緒に、新しい車座を組みたいものだ。

 以上が週初の思いだった。だが、週末には早、反省させられている。もっと突っ込んでおきたいことがあった。それは、原発問題である。

 原発再稼働推進組は、万一の時は「国が全責任をもって」対処すると言って、原発立地県などに迫っているが、福島問題では、国が責任をもって対処したとは到底思えない。その責任問題すら究明されていない。除染にいたっては笑止千万だ。

 見学時に、その無意味なやり方に呆れたものだ。たとえば、山の除染こそ肝心だが、物理的に「山の除染は出来ない」と見てとった。だが、莫大な金と資源と時間をつぎ込み始めていた。ことここにいたって、莫大な金と資源と時間をつぎ込んできた挙句に、「山の除染はしない」と言い換え、その「しない」屁理屈としか思えない根拠を言い立て始めている。

 これまでの無益な「時間と資源」だけでなく、1世帯当たり億単位の莫大な金を投入したが、その額をもって、事情の分からぬ国民に「これ以上の金をせびりたいのか」と言わんばかりにあきれさせ、「責任をもって対処した国」と錯覚させようとしている、としか私には思えない。

 琵琶湖の水を汚染しかねない原発再開も心配だ。その心配に関わりがある知事には、「万一の時」には、国が対処する「全責任」の範囲に、せめて「放射能で汚染していない琵琶湖の水相当量の水ぐらいは担保する」と明言させてもらいたい。
 

朝食にわざわざ出直してもらった

朝食にわざわざ出直してもらった

それがかえってよかったようだ

それがかえってよかったようだ