禍根を残す協定

 

 日本側はわざわざ「最終的かつ不可逆的に解決させることを明確にした」との表現を用いたわけだが、これは「ジャックの豆の木」の種のごときにならないか、と危惧の念を抱いた。これが、本件第一報に接した折の私の印象だった。

 なぜなら、日本側には「ソウルの日本大使館前にある少女像移転を韓国側が内諾した」と見て、10億円を出すことにした、との意見(見方?)がある、と報じられたからだ。だが私は、この日本側の意見(見方?)に世界は賛同どころか同調さえしないだろうし、いわんや、当の本人である元従軍慰安婦は、決して許さないし、認めないことだろう、と考えた。つまり、こうした意見なり見方を「憶測(悪い冗談)」であるに違いない、と願っていた。

 もちろん私は、この日本政府がなしたことに大賛成だ。なぜなら、これまでの安倍首相(安倍政権)は労を策してゴマカシを繰り返してきたが、その態度や思考を返上し、事実を認め、詫び、反省したわけだから大賛成だ。その勇気と人道精神を伴った判断に喝采を送りたい。

 これで旧日本のしでかした大きな戦争犯罪の1つを解消できたような気分だ。つまり、戦争というものがもたらしがちな問題に真正面からとり組み、問題に清くケリを付けた、と思われたからだ。これで日本は世界に向かって堂々と胸を張れることになった。

 なぜなら日本は、その原因となる戦争自体を9条で永遠に放棄することを誓っているからだ。つまり、こうした戦争犯罪を生じさせかねない原因としての戦争を憲法で否定する日本が、先の戦争が犯させた戦争犯罪の1つを清く認め、「最終的かつ不可逆的に解決させることを明確にした」わけだから、胸が張れて当然だ、と私は胸をなでおろして当然だろう。

 ところがその後、日本側は「詫びたのだから、もうええやろ」「少女像も撤去し、これで慰安婦問題は一切がなかったことにしよう」「2度と、慰安婦問題の話を蒸し返すな、持ち出すな」との想いで「不可逆的」という言葉を用いた、との報道が幅を利かし始めた。そして、案の定、当事者である元従軍慰安婦はそれを認めない、と報じられ始めた。だから私は、すでに「ジャックの豆の木」は芽吹いてしまった、と見るようになった。

 合意の最重要ポイントは、このたびやっと「旧日本軍の関与の下で、多くの女性の名誉と尊厳を傷つけたことを日本政府は認め、責任があることを痛感した」ところにある。だから「安倍首相は、元慰安婦の女性たちに心からお詫びと反省の念を表明した」わけだ。しかも、これをもって、「最終的かつ不可逆的に解決させることを明確にした」ことである。

 本来なら、まず韓国以外の国々との関係も見直す必要がある。オランダや中国などでも従軍慰安婦問題があったようだが、それらにも「お詫びと反省の念を表明する」必要がある。

 また、教科書表記を急ぎ改定する必要がある。安倍政権はこれまで、この問題の表記をゴリ押しで大きく変えてきたからだ。そのゴリ押しの根拠を清く返上した(その間は日本国民を欺き、子どもたちに誤った教育をしていたことを清く認めた)わけだから、急ぎ教科書表記を(できれば当事者である従軍慰安婦の意見も聞くぐらいにして)改定するだけでなく「ゆがめた教育を施してきた」子どもたちには履修し直させるす必要がある。

 あえて言うならば、ソウルの日本大使館前に、日本政府の手で新たな記念物(それまでの安倍政権の意に反して設置された少女像に代わる)を設置し、折に触れて少なくとも日本の要人訪問時は敬意を払うなどしてはどうか。まだ間に合うことがある。

 意を決し、従軍慰安婦であったと名乗り出た女性が、少数になったとはいえ存命中だ。この事実を不幸中の幸いにしてはどうか。つまり、彼女たちに、あそこまで「詫びたのだから、もうええやろ」と認めさせうる機会が残されていた、と喜んではどうか。

 70年が過ぎた今も、その体に生々しく拷問の跡を残す女性も生存中と聞く。そうした場合に血を焚けらせると、男はいかに狂暴になるか、その伝聞も多々残っている。それはその当人だけの問題ではない。これぞ戦争の責任だ。こうしたことも、キチンと教えるのが真の教育だろう。

 問題の少女像を設置した人たちがその手で取り除きたくなってもらえた日が、真の問題解消の時だと、と私は思う。それが、日本の多くの若者の心に国を愛する心を自発的に育てさせることだろう。同時に、未来に希望を抱く若者の比率を画期的に増やすに違いない。

 すでにその逆の風潮を広めかねない悪しき「ジャックの豆の木」は芽吹いている。何せ、安倍首相は、国際的な約束をしているわけだから、今度はこの木を芽のうちに自らの手で刈り取る勇気と気良さが求められている。これを機に日本を、被害にではなく加害にむしろ敏感になる国に改めたいものだ。それが真の自信の源泉であり、日本が繁栄する正道だと思う。


 


国際的な約束