得心するまで語り終えた

 

 大学院は日本で、と維さんが思ったことが、なぜか嬉しかった。その学びたいことが、さまざまな立場の弱者を対象とした社会貢献であっただけに、なおさらだ。その憧れの師を(論文で)日本で見出し、来日した。それがために、アルバイトに追われたようだが、この半年間は日本語の勉強に努めていた。

 問題は、昨年の暮れ近くに、憧れてきた学者が定年まであと1年の身、と分かったことだ。もちろん彼女は、代わる学者の目星を立てつつある。

 こうした状況の彼女と語らったわけだが、その内容の仔細は私には理解できていない。彼女の日本語は不十分だし、私の英語力はお粗末そのもの。しばしば漢字や英単語を記し合ったが、その意味しあうところは3割と通じてはいないはずだ。しかし、私にも理解できたことがある。

 まず、彼女は熱中すると、両の腕を肘まで袖捲りし、頭をかくクセがある。そして、何か底知れぬ意欲と、空恐ろしいほど強そうな精神の持ち主である、と見た。さらに、弱者に寄せる心と、そのために尽くそうとする意欲には底知れぬものがある。

 話題は次第に深みにはまり込んだが、それは私のせいだ。先進工業国と農業国、そして中国など新進の工業国を対比しながら、人類の近未来を、とりわけ食糧問題を考えようとした。私は、総数と平均値で語り始めたが、それを彼女は遮った。

 社会福祉問題を極めようとしている彼女には、アメリカの平均値など目ジャナイようだ。計算上では考えられても、実から大きく外れており、虚の虚とでも言いたいようだ。もちろんそれは私も認識している。その兆候は1995年の2度にわたる取材で確かめており「中間層消滅の危機」と拙著にも記している。その現実化は深刻なまでになったようだ。

 この、人類の食料問題以前の問題が、彼女は気がかりなようだ。人類は、2025年に食料問題で破綻するとのを、彼女はアメリカの大学で学んだようだ。だが、彼女はこの10年先の問題よりも先に手を打たなければいかないことがある、と言いたいようだ。そうした心境にさせる現実問題を、彼女は学んできたようだ。

 グローバルとローカリー。マクロとミクロ。これらをないまぜにして話を進めようとしたが、なにせ彼女の日本語力と、私の英語力では何ともならない。歯がゆい限りだ。この歯がゆさをバネにして、彼女が「日本語をマスターしたい」との意欲を高めることを切に願った。そして、私は次の2つのことを振り返りながら、眠りについた。

 その最初は、TPP問題だった。アメリカは、2025年はもとより、もっと先もにらんで交渉に臨んだことだろう。日本はどのような意識で臨んだのか。

 2つ目は、30年前の私が感じていた歯がゆさを振り返ったことだ。その歯がゆさが脱サラさせた。そして、著作に手を出させ、それまで世話になった人たちに献本させた。

 資本主義をのさばらせ工業社会の破綻を見越し、めぐり来る「ポスト消費社会」を見据える必要がある、とまず未来像を明らかにして、伝えたかった。

 次に、その未来が期待する企業、「人(人権)と地球(生きとし生けるものにとっての環境)に優しい(忠誠を誓い実践する)企業」を標榜し、実践すべきだと提案した。

 その実例として、「人と地球に優しい企業であれ」との願いを説得し、誠実に実践しようと提唱すれば、功を奏する社員に恵まれている会社であることを伝えたかった。その社員の心を結集する秘訣は何か。それはブランドへの忠誠だ、との思いを、「ブランドを創る」という一書にまとめることにした。

 それは、企業拡大という結果ではなく、ここはプロセス(過程)の健全化を図るべき時だ、との訴えの詳述だった。要は、その願いが受け入れられず、その理解されない歯がゆさを身を張って文章にした。だが、力及ばずに終わった。