ある電話相談

 

 それは前夜考えたことの1つだ。事実を淡々と語り合い、身体問題について正確な情報を交換し合いたいなア、と思った。そうした相談のできる人なり、機関なりがあれ ばよいのに、と思った。12時を過ぎてもいた。

 もちろん、相談すれば丁寧にのってくださる友人はいる。問題は、あまりにも心配をかけてしまいかねないことだ。わたしにとって大事な人だから、とてもそんな心配はかけたくない。かといって、病院に電話を入れても、責任問題が気になるだろうし、第一、言葉だけの訴えに、いちいち真剣に応じられないだろう。そんなことも考えた。

 翌朝、朝食後に、これを話題にすると、妻の方がよく覚えていたことがある。ある顧問会社が、「顧問も対象に含めてよい、とのことなので」といって、私をリストに加 えて下さった保険システムがあった。24時間、医療に関する相談が出来る保険だった。

 もちろん、言われてみれば、私にもうっすら記憶が残っていた。だから、その会社の社長に電話を入れ、事情を伺った。何よりも嬉しかったことは、的確に私の質問に次々と応えてもらえたことだ。そして、その上で、「何かあった、のではありませんか」と質問されたことだ。このやりとりを、横で聞いていた妻が、一番勉強になったようだ。

 「偉い人ですネ」が、その第一声であった。「私なら途中で『何かあったのですか』と聞いてしまっていた、と思う」と、妻は継ぎ足した。横で会話を聞き、私が何を求めているのかを感じ取り、同時に、それが妻も知りたいことであったからだろう。「本当に相手のことを思っている人」のあるべき姿を感じ取ったようだ。これが、今週の大収穫の最右翼のようにわたしには思える。