ムカムカすること
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かつて狩猟法は甲・乙・丙に分類されていた、と聞いた。甲種が罠であり、乙種が銃砲。そして丙種が空気銃であった。今は、罠は「網」と脚をかける「輪」に2分されている、と一仕事が終わり、ホノボノした気分になれた時に聞いた。 電話に出てもらえた時に、師匠から「それでどうしますか」との質問が返って来た。師匠は「私の調べたところでは、禁漁区ではないし、狩猟禁止時期でもない」と、述べた上での質問だった。ジビエにしますか。それとも逃がしますか、との問いかけとすぐにわかった。私は養鶏に携わった経験がある。その目で見れば、目の前のシカは、ジビエに適しているように見えた。鶏で言えば、産卵が始まりかけたメスの肉が美味しい。 私は躊躇することなく、「師匠の判断に従います」と応えた。 「そんなら、僕は、成獣以外は逃がしてますから」 「それで結構です」 「代わりに、シカとシシの肉を持って行きます」と会話が続き、 「これからすぐに飛び出します」と言ってもらえた。 ここで、初めて妻に事情を知らせた。逃がしてもらえる、と知って妻は大喜びした。これがヒヤヒヤする時間の始まりだった。 万一、シカをあばれさせて怪我をさせたら大変だ。生け垣沿いに張ったイノシシネットに首を突っ込んでいたから、暴れさせ過ぎると、首を絞めさせかねない。あるいは逆に、せっかく師匠に駆け付けてもらいながら、逃げられた後にならないか、とも思った。その時、折よく、妻が出て来たので、写真を撮ってもらった。これまでの経験から、私が近づくと恐れる野生動物も、妻ならあまり怖がらないことが多かった。 この日は、昼食にお好み焼きを所望していたが、妻は「角出さんが見えてから、ご一緒でいいですね」と確認し、引き揚げた。ここからが、ハラハラの始まりとなった。 野小屋の北側で、つまり野小屋を挟んでシカの反対側で、私はナタ仕事の続きをしながら師匠の到来を待つことにした。 シカが暴れはじめると、シカの様子を確かめるために駆け出し、点検する時間になった。土手の上に駆けつけ、見下ろす形になったが、必ず人がいた。観光客だ。何の案内もない地道に興味本位で踏み込んできた観光客が、立ち止まり、物珍し気に眺めていた。事情を手短に伝え、通り過ぎてもらった。 野生の動物を暴れさせると、どのような事態になるのか、しれたものではない。シカとて命がけで暴れると途方もない力を出す。こうしたことが、3度続いた。 そしてついに、ムカムカすることが生じた。シカが甲高い声で悲鳴を上げ始めたのですぐにわかった。駆けつけると、白人の若い男女がいじめ始めていた。もちろん、彼らにすればシカを救い出そうとして手を出したのだろう。それがシカを脅かせていることに気付いていない。大げさに言えば、偽善である。それが証拠に、追い立てようとする私にいやな目つきを投げかけていた。 それまでは、息をひそめているシカに、通り過ぎる観光客の多くは気付くことが少なかった。これを期に、すべての人が気付くようになった。イノシシネットがかなり伸びてしまい、生け垣が荒れたこともある。それ以上に、シカが息をひそめずに、人が近づくと暴れるようになったからだ。これが私をムカムカさせた。 師匠はどうなったのか。妻もケイタイ内線電話で、お好み焼きの「火を何時入れましょうか」と、聞いて来る。そもそも「角出さんは何処にお住まいですか」と聞いて来た。そのようなことは、私は聞いていたとしても記憶しているはずがない。でもこの時は、反省した。 再度電話を入れ、京北町だと知った。小1時間は要する遠方だった。 その後、10分ほどで、ワクワクとホノボノ、そしてヤレヤレの一時と移る。 師匠の到着は「地獄で佛」だった。小走りで現場に案内した。 「場合によっては、ネットを切ってもよいですか」 「もちろん。ペンチを用意しています」 「僕も持ってます」 師匠は2mばかりの土手を「ヨシヨシ」と言いながら下り、シカに近づいた。シカはさしてあばれない。師匠はシカをバクッと抱き込み、「ヨシヨシ」となだめながら、首をネットから抜き取った。その瞬間、シカは暴れようとしたが、師匠は抱きかかえ直し、ネットの向こう側に持ち上げて、地道に下ろした。この間、1分ほどか。 逃げ去るシカのお尻ぐらいは写真に納まっているかもしれない。 ここで、妻が用意していた昼食となった。ノンアルコールのビールも用意していたが、下戸だとおっしゃる。0.00との表示を確かめ、やっと飲んでいただけたが、師匠は真っ赤になった。 土産に、ジビエとは別に、イノシシの牙を持参してもらえた。「小さいのを1つ」とお願いしていたのだが、特別の2つをいただいた。その1つは、ハラワタを除き、124kgもの大物の雄の牙という。2頭分の一対の牙を師匠と分け持ち合う関係になった。 翌朝、被害を点検したが、畑のはずれ、庭の中ほどまで入り込み、アスパラガス畑の端で育つ野菜まで食べていた。 |
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写真を撮ってもらった |
シカに近づいた |
首をネットから抜き取った |
師匠は抱きかかえ直し |
逃げ去るシカ |
妻が用意していた昼食 |
特別の2つをいただいた |
アスパラガス畑の端で育つ 野菜まで食べていた |