丹波篠山の旅

 

 ピーター・ハーモンさんのお宅は、この地方の古民家が活かされていた。昼前にわが家を出て、京都駅で内山英一さんと落ち合い、新大阪で昼食。その後、篠山口まで特急で1時間。遠いように思えたで丹波篠山が「こんなに近いとは」。

 ハーモンさんと改札口で再会。その車は10数年来とかで、当分「この愛車を活かしたい」とか。今は(ハイブリッドや水素など)車の歴史の転換期にあり見定めかねる。故に「次の車は(人生)最後になるだろうから」と意見に共感。わが家も、最後の軽四輪をいつ決めるか、それとも3代目で終えるか、と考えた。

 異国で住まう外国人の生活のありように、私は時として憧れ、うらやましくなる。ハーモンさんは、その典型例だった。それはどうしてか、と気にしてきたが、この度もその例外ではなかった。ノビノビ生活しながら、まず棲みついた異国の人たち以上に異国の文化を尊重し、馴染んでいる。それは、おおらかな性格がそうさせるようだ。

 お宅で荷を解かしてもらい、しばし近所を散歩。後は車で一帯の見学。前の日に雪が降ったようで、日陰の残雪を楽しみながら車は峠越えのようなコースを走った。遠望する山と、その観賞の邪魔になる道路沿いの延々と続く金属フェンスの説明があった。私は肝心の山々の名前を覚えず、金属フェンスの無粋さを記憶に止めた。その張られた理由は、シカやイノシシなどの野獣保護ではなく、人間によるゴミの不法投棄、という。

 山を下る道中は、わが父の故郷を思いださせた、山間に水田の帯が続いた。思えば、父の故郷も丹波だ。この山を2〜3越えたところだろう。

 たどり着いた先は、小高い冬の山沿いに広がる白っぽい建物群で、そこは兵庫陶芸美術館であった。山の高低差を上手に活かし、地域活性化に配慮した諸施設が揃う、落ち着いた佇まいだ。エレベーターを所望し、2フロアーほど上がったところにエントランスがあった。この小高い山服の反対側に、小高い山服に陶芸の街が遠望できた。

 折よく、開館10周年記念の催し中だった3回シリーズ最後の「再“丹波(冬)丹波の登り窯とその時代」展であり、前に二つの催しがあった。

 丹波焼きの何たるかの一端を知り始めたときに、無知を恥じた。でも、ハーモンさんの案内で、この劣等感はすぐにやわらいだ。ごく近年まで、産地不明の古陶器とみると、その道の専門家でさえ「丹波」と分類してきたようだ。つまり、その作風の幅はとても広い。にもかかわらず、いずれも完成度が高い、と見た。

 この催し会場の一角に、120年の歴史を重ねて来た最古の登り窯が再現してあった。とても背丈が低く、腹ばいになって焼きものを出し入れをしたのだろう。

 次いで案内されていたのは、夕食前のリラックスの時間。「こんだ薬師温泉・ぬくもりの湯」であった。待ち時間を、長風呂が好きな妻と定めて分かれた。内風呂には42度の湯から水風呂まで4段階の湯船が、これも山肌を活かして配されていた。露天風呂も同じ趣であった。私は内山さんと、39度の露店でやや長話をし、ハーモンさんと妻を待たせた雲1つない夜空が美しかった

 古民家を活かしたお宅の随所に、ハーモンさんの作品が飾られていた。その腕前は、この道に疎い私の目にも、一目瞭然と思われた。この地の家屋も元は田の字であったようだ。その縁側に面した一区画は、玄関の間と座敷だ。その北側の一角は茶席と待合いを兼ねた水屋にも活かされており、水屋には見事な茶碗があった。

 誰しも好き嫌いはあるのだろうが、私にはそのいずれもが「見事」に思われた。いずれもが、ハーモンさんの手になる作品と知ったが、ハーモンさんの象徴だと見た。

 夕食前に抹茶を振舞って下さることになった。着替えを待つ間に、水屋でジックリその作風の何たるかに触れ、好みの1つで一服振る舞ってもらうことになった。茶席は古民家のありようを見事に活かしていた。小さな2つの下地窓から射す光はやわらかで、スス竹を活かした天井の様子とマッチしていた。下地は、いつかどこかで手に入れていたものを用いた、という。

 藪ノ内流の名手と聞くその茶はとてもまろやかであった。濃茶がお好きとのことだが、やや熱い目の薄茶を大服で振る舞われ、普段の倍ほどの時をかけ、大きめの上用饅頭の残甘を惜しみながら味わった。あとで勧められたのが、夫人手作りの、甘みを抑えた干菓子だった。サツマイモと黒豆をいかしたという。色彩もニクイ。

 夕餉はシシ鍋であった。夫人は膝を少し痛めているとのことであったが、フルアテンドが始まった。地元の酒も用意されていた。それは熱燗で。持参の京都の酒は冷で、となった。酒杯は、わが家と似て、大きな容器に用意された銘々杯を選ぶ。あれでもない、これでもない、と選んだ1つは、「細川護熙さんの作」と知った。

 前菜としてさまざまな夫人手作りの鉢物が並んでいた。シシ肉は解体して間なしとのことで、美味だった。妻は珍しく、夫人に勧められるままにほおばった。

 小用の折に、田の字の残る2画を通ったが、気になる2つの本棚があった。

 歓談はつきなかったが、やすむ段になった。内山さんは茶席で、私たちは座敷で、と告げられ、ちょっと残念に思った。商社時代の初期、行きつけの出張先での思い出がよみがえったからだ。府中の古い旅館では、なぜか私に、その中庭にあった茶席での宿泊を勧められた。何とも、その手狭な空間が懐かしく思い出された。

 座敷での睡眠はバタンキューであった。早朝に目覚めたが、ハーマンさんはすでに着替えて厨房の人。私は横目で本棚をにらみながら、着替えに取って返した。

 洋朝食の後、私は気になる本棚の1つの開示を求めた。そこは復刻版だが古文書を始めとする夫人の世界の1つであった。まず「古事記」を紐解かせてもらい、最初の衝撃を覚えた、最初の衝撃を覚えた。次いで、朝日新聞で現在進行形『門』を引き出した。この両者を、写真に収めたくなったが、夫人に漱石の三部作を、と勧められ次の衝撃に襲われることになった。

 夏目漱石の満足を得たこの装丁のもとに、出版されたわけだ、と考えた。そこには夏目漱石の美意識がにじんでいる。その予告編に触れながら頁を繰り、本文に目を移し、高揚した気持ちの下に読み進んだのであろう。

 昨今は「電子書籍」や、「電子書籍」の速読法などでかまびすしいが、「何たることだ」と思わせられた。BGMを欠いた映像を見たり、映像のない映画を見たりしているようなものではないか、やや大げさに思われてしまった。理解とは何か。

 どのように生きれば、いかに死ねるのか。人間はいかに生をまっとうすればいいのか。何が完結なのか。人間に許される望ましき生とはどこまでか、など。さまざまな想いが頭の中で錯綜した。人間は次第に機械に成り下がりつつあるのではないか。コンピューターに取って代わられかねない存在に自らを追い込んでいそうだ。

 後ろ髪を引かれる思いで本棚を閉じながら、「何をもって知り得た、と言えばよいのか」の問題だ、と思った。見事な復刻版を振り返りながら、ハーモンさんの案内に従うところとなった。屋外に出て、好天を愛でた。前夜は快晴であったが、田畑をかなり冷え込ませたようだ。朝日に夜景色も美しい。

 

異国の文化を尊重し、馴染んでいる

兵庫陶芸美術館

開館10周年記念の催し中だった

シリーズ最後の「再“丹波(冬)丹波の登り窯とその時代」展

 

最古の登り窯が再現してあった

ハーモンさんと妻を待たせた

雲1つない夜空が美しかった

いずれもが「見事」に思われた

スス竹を活かした天井の様子とマッチしていた

夫人手作りの鉢物が並んでいた

最初の衝撃を覚えた

『門』を引き出した

漱石の三部作を、と勧められ

田畑をかなり冷え込ませたようだ
   
 まず歩いて案内されたのが「大国寺」であった。その道中に、大きな門構えの古民家があったが、その由緒とかろうじて保存されそうな現況を聞いた

 大国寺は安泰山(?)のふもとにあり、「大国主の尊」との関係は聞き漏らしたが、国の重要文化財指定を受けていた。天台宗で、本堂は室町時代初期のものであり、唐様式と和様式の折衷の建物であった

 これほど金箔が残った古い仏像を、これまでに私は見たことがあったのだろうか、と思った。かつて、三木のあたりの刃物会社を訪れた折に、まばゆいばかりの大きな立像を見たが、あれははるかに後世の作であったはずだ、と振り返りもした。

 それよりも何よりも、この薬師如来像は珍しい。大日如来と阿弥陀如来を兼ね備えた「一佛三身」だという。後年、やって来たという大日如来像と阿弥陀如来像が左右に鎮座。脇侍仏として安置されている。持国天、増長天も珍しい。両足でそれぞれ餓鬼を踏みつけている。何とも冷え込む本堂であったが、時の経過を忘れた。

 いったんハーモン宅にとって返し、車で次ぎの目的地、町並み保存地区を目指した。その道中でも、見事な古民家を見た

 たどり着いた街並み保存地区は、白壁と瓦が印象的だ。その中程に「丹波古陶館」があった。中西薫館長の案内を得たが、伸びやかの説明であった。目利きであり、時代の流れを読む力を兼ね備えた先祖を待つが故の明快さ、と見たフト、わが国の戦国時代に、西欧のルネサンスの影を見たように、あるいはその逆を見たように思いながら、研究者の生涯もうらやましく感じられた。

 夫人との待ち合わせの時間が迫った。そこは、日陰に移築された古民家であり、今はレストランだった。楽しい一泊二日の旅は、篠山口の駅で終わった。
 
 招きに夫婦で応じることができた幸運を喜んだ。同時に、糟糠の妻を近年亡くされた内山さんに感謝した。

 

案内されたのが「大国寺」であった

由緒とかろうじて保存されそうな現況を聞いた

国の重要文化財指定を受けていた

唐様式と和様式の折衷の建物であった

 

脇侍仏として安置されている

餓鬼を踏みつけている

見事な古民家を見た

街並み保存地区

 

丹波古陶館

「丹波古陶館」があった

日陰に移築された古民家

今はレストランだった