学生の教材。 建築家アルヴァアアルトの白木風家具「アルテック」をなぜ選んだのか。それは、学生時代に私も建築学も学んでおり、「アルテック」に憧れていたし、建築家になった友人に推薦されたからだ。だが、もう1つの理由がある。それは計算間違いだ。この友人にこの建物の設計を依頼し、建物がほぼ完成するまで、喫茶店にする計画などなかったのだから。
今は喫茶店になっている部屋の内装工事の最中に、喫茶店案が浮かんだ。輸入家具だけにキャンセルは不可能だった。第一に、6人掛けのテーブルは、喫茶店には向かない。他に第二第三の不敵な理由もある。
元は、人形教室の生徒さんの茶話室や、私の来客に供し、たまには夫婦で招く友人との歓談に用いる計画であった。その計算が狂った。
だが、その「おかげで」と言ったほうがよさそうだが、大きな収穫も得ている。学生時代の夢、インテリアデザインの時間にいつも一度は座ったみたいと思っていた夢が、28年後にかなったのだから。友人の強い推薦で3つの贅沢をしたその1つだ。
この「アルテック」、ノルウェイ―のストーブ、そしてスウェーデンの床石は、わが家の3大贅沢だ。無理をしておいてヨカッタ、と今も思うる
先ず、文化の何たるかに、ヒヤヒヤしながら、想いを馳せさせてくれる。たとえば、漆塗りの座卓に(漆塗りの什器等が少なくなった近年であれ)ホイッとリュックサックを載せる人は少ない、と思う。このクセは同様に、メラミン樹脂製の座卓であれ、リュックサックをホイッと載せさせなくしている、ようだ。
こうしたことを気にしている私も、洋風食卓(テーブル)の場合はホイッと載せかねない。学食などでリュックサックを載せても叱られなかったからだ。
チョットした人は今でも、布団や座布団、あるいは畳のヘリなどは踏まない。食卓の皿を箸で動かしたりはしない。だが、近ごろは、平気で踏んだり、引き寄せたりしまう人が増えている。いわんや、椅子の使い方などは分からず、平気で片手で引きずったりしかねない。だが、「こんなところで、アルテックに座れた」と喜び、両手で音もたてずに上手に椅子を扱う人もいる。
幸いなことに、わが家では母がうるさかった。おかげで、結構私は得をした。仕事面でも好き放題のことをしてきたが、なんとかやり過ごせた。それは母のおかげだ、と思う。知らないマナーは、平気で問いただせたからだ。マナーがあるに違いない、と思っていたから、問いただし、従うようにしてきたからだ。
アボカドを初めて食べた時もそうだった。ロバートルイス社のスミス社長は、わざわざ私の席の隣にまでやってきて、私のスプーンをとり、すくい取り方などを教えてくれた。それだけではすまず、「帰国するまでにアーティチョークも」と夫人の提案に結び付き、マンションに招いてもらえ、次の約束もできた。嬉しかった。
パタゴニア社の創業者イヴォンさんに、社員の採用基準を問うたことがある。その1つに「一緒に食事をしたくなる人」をあげたが、「なるほど」と思った。
こうした思い出を学生に語りたい。これはコンピューターには真似られない温かみだと思う。日本企業の中には、近ごろ、母親同行の面接試験をするところもある。
昨今、文明の遊郭に負けた移民問題が欧米でかまびすしいが、文化の問題、マナー尊重の問題が大いに関係していると思う。あえて言えば、あるいは強いていえば、文明に油断してはならない、と思う。『マイフェア―レディ』ではないが、文明は文化の尊重をないがしろにさせがちだが、要注意だと思う。こうした思い出も学生に語りたい。
こうしたことを、未来ある若者に気付いてもらえるように活かしたい。
週末、その「アルテック」の補修が仕上がって来た。その折に、母が残した足踏みミシンの引き出しも補修されて届いた。実様に供されることはなさそうだが、次週初日に、この引き出しを妻とミシンに収め、私流に死なない母をよみがえらせたい。
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