想い入れ

 

 40年ほど前に、喫茶店の開業を構想しており、結果から言えば、この案は10年ほどお蔵入りさせたようなことになった。

 アポロ8号のおかげで地球を観ることができたし、その認識の上に、オイルショックを体験した。私は、地球は「小さい」と思い込んでしまった。同時に、瞼にはガタガタと崩れゆく日本の姿が浮び始めた。そのころのことだ。宗旨替えのように意識を代えた私は、『説教茶屋』との看板をあげて、喫茶店を立ち上げたくなっている。

 やがて、文明に甘えたり、文明が誕生させた企業に油断させられたり、あるいは、文明が歪めた資本主義に翻弄されたりしている己に不安を抱きはじめた。そして、いよいよ『説教茶屋』を、と考えたが、妻に『説教茶屋』なんて、と反対された。むしろ逆に説教される立場でしょう、との注意だった。「その通り」と思って、あきらめた。

 その後、色々なことがあった。色々なことが生じた。世間では「欧米にもはや学ぶものなし」との声が広がり始めた。私は逆に、日本の未来を危惧し、日本の終焉を恐れ始めた。2度ばかり、奇病にも苛まれ、大げさだが死も予感し、雑念を断ち切った。

 自由の身となり、にわかに喫茶店が身近になった。私は、多くの来客を迎える身になっていたから、最大最高の客になる事をココロに言い聞かせ、条件付きで賛同し、両親の許可を求めた。母が強烈に反対する、と思っていたが、むしろ賛同した。

 そのころには、工業社会の破綻を確信しており、ポスト工業社会は「愛の定義」を変得る、と見込むようになっていた。その予感が『アイトワ』との名称を創出させた。「愛とは何か」を問いかけ、その「愛の輪」を広げ、その「愛が永遠」であれと願い、命名した。楕円形の額を用いてその想いを「額装」し、店頭に掲げた

 その想いは、実は1年前から著述しており、すでに文章になっていた。その後、2年かかったが一書にしてもらえた。世間ではバブル現象があらわになり、「欧米には最早学ぶものない」との豪語が聞かれはじめていた。要は、日本中が消費に熱狂し始めていた。「ポスト消費社会の旗手」を目指そう、などという提案はバカにされた。

 その後も、色々なことがあった。生じた。次第に、私は素敵な人たちとの出会いに恵まれるようになった。かくしてこの度、1つの思い入れを額装し、飾り付けた。『説教茶屋』から40年。アイトワ誕生から30年。網田さんの助言を得てから1年が経過していた。リズさんと喜田さんの協力を得て、日英対訳文を添えて完成させ、飾り付けることができた。

 横に長いこの額を飾り付けながら、「そうであったのか」と気付かされたことがある。それは、縦に長い楕円形の額が「アブストラクト」であった、ということだ。1つの想いのアブストラクト、つまり「抜粋」、あるいは「要約」であった。

 


楕円形の額を用いてその想いを「額装」し、店頭に掲げた