バラス仕事と呼ぶことにした

 

 パーキング場などで、鉢植え植物を配置したシーズンの後では、いつも繰り返してきた作業だ。水やりなどの度に、鉢の底から土も流れ出すので、その土を取り除く作業が求められる。土ごとバラスをすくい取り、ふるいにかけ、土を取り除いた後のバラスを元に戻す。これは、アイトワ流の知恵の1つであり、希望だ。

 アイトワでは、サラリーマンしながら「こうした生活」を手に入れる手法開発に努めて来た。そのためには、高くつく砂利敷きの庭や道などは求め得ない。そこで考え出したことの1つに、工事用の砕石を活かすアイデアがある。

 砕石でも遠目には十分気鋭に見えるが、近づくと石が角張っており、「美しい」とは思えない。だが、砕石の道には「エイジングの喜び」がある。多くの人が歩いたり、車に踏みつけてもらったりすると、次第に角が取れ、河川敷の砂利のようになる。それだけに、角の取れた砕石は貴重な存在である。だから、この度は、これを大仕事に選んだ。

 貴重な元砕石の上に、工事によって大量の土がこぼれた。その見苦しさを埋め合わせるために、新たな角がある採石が敷かれ、慣らされ、踏み固められた。それを、掘り返して広げ、太陽の協力を得て土を乾かし、その上でふるいにかけて、となった。

 この作業にいそいそと取り組んだが、それは皮肉でも、なんでもない。アスレチックジムに通う手間よりは、との想いもあるが、それ以上に、さまざまな効果が期待できる。それよりも何よりも、こうした作業に取り組んでいる間に「運も実力のうち」の気分にしてもらえそうだから不思議だ。何事も好機のように思えてくる。

 当週は、側溝仕事に取り組みながら、無性にこの道の専門家か体験者と酒を酌み交わしたい、と思った。それはどうしてか、と考えたが、キットいいことがあるはずだ。

 私は職人が好きだ。職人と過ごせる時間が好きだ。先週は、カンカンに固まった土を掘り起こし、庭木を植えた時の職人と一緒にお茶ができたが、いいことがあった。。