不安と不信
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この4日、政府は辺野古の工事中断で沖縄県との和解に応じたが、これは政府の単なる技術論ではないか、と私は不安になった。なにせ日本の裁判は時間がかかる。その短縮策に過ぎないのではないかとの見方があるが、そうに違いない。 こうした不安を抱いたまま過ごすこと5日。砂川事件の再審請求が棄却されたことを(8日の新聞で)知った、この事件では、国の不条理を2度も感じていた私だが、これで3度目になったような気分。 59年前のことだ。米軍の立川基地拡張に反対した7人の学生が逮捕、起訴された。だが、1年半後に、東京地裁の伊達秋雄裁判長は無罪判決を言い渡した。「米軍駐留は憲法9条に違反する」との判断だった。大学2年生だった私は「日本、バンザイ」と喝采をおくった。 だが、9か月後に東京地検は「跳躍上告」の手に出た。高裁を飛ばし、いきなり最高裁の判断を仰ぐ手に出た。そして即座に一審の無罪判決を破棄し、7人の学生にそれぞれ罰金2000円の「有罪判決」を言い渡した。これが国に抱いた私の第1の不条理。 なぜ日本は、この伊達秋雄裁判長の無罪判決判断を好機として活かさないのか、と思ったからだ。当時の私は、今とは違い、国粋主義者に近かったように思う。なぜ、全国民を巻き込んで、国の未来を真剣かつ慎重に考えようとしないのか、と歯がゆい思いをしていたように記憶する。その想いは次第に、なぜ生かせないのだ、になった。 確かなことは、私はなぜか「神風突撃して死んだ若き兵士」に言い知れぬ共感を抱いていたことだと。無駄死にであったとは思いたくなかった。 だが、世界を駈け廻り、様々な史跡や記録を垣間見るうちに、さまざまな謎や疑問が解け始めるようになり、次第にスッキリした気分にされるようになった。 砂川事件「跳躍上告」後50年目にして、米国の機密公開制度で分かった事実がある。わが国の時の最高裁長官が「跳躍上告」と「有罪判決」との短時日の間に、駐日米公使と本件に関して密談していた記録が米国の国立公文書館で発見された、と知った。この時に、わが国に対して私は第2の不条理を感じている。 日本政府は、この事実を自国民に対して公開していなかった。なぜ、相手(米国)の公開制度で知らなければいけないのか、との事実に無常観を抱いたと言い直した方がよいのかもしれない。要は、いずれは真実を公開してもらえる、あるいは公開できる、と知った上での苦労と、永遠に公開は許されない、あるいは公開されずに済む、と分かった上での苦労は、その質を根本的に異にするように思う。その乖離の幅は次第に大きくなりそうに思われてならない。要は「どっちを向いているンだ」、あるいは「何のためやらせたンだ」の問題になるように思う。 こんな想いにゆれながら年月は過ぎて行き、2年前に、ヒョコンと砂川事件を振り返らせられる事態となった。弁護士資格を持つ自民党副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠として砂川事件の最高裁判決を持ち出したからだ。 こうしたことがあった日本で、このたび政府と沖縄県は辺野古工事を中断することで和解した。いずれ双方は最高裁の判断を仰ぎ、それに従うことになるのだろう。もちろんその陰で様々な苦労が演じられるに違いない。その苦労のほども、日本国民はまた50年とかの年月を待って米国国立公文書館の公開を待たなければ知りえないのだろうか。 こうした思いを抱いたまま過ごすこと5日。砂川事件の再審請求が棄却されたことを新聞で知った。 |