ガスと電話の問題

 

 ガス問題は、古いガス湯沸かし器の水漏れが発端だった。妻は古樋を用いた応急処置で済ませていた。そうと知った私は、こうしておけば「事態は刻々と改善すると思っていたのか」といつものように爆発。

 よくよく考えてみると、妻も想いは同じであったようで、とても悔しかったのだろう。つまり、「放っておいたのではダメダ」「かといって、日本の企業は『修繕や補修』よりも『買い替え』を勧めるに違いない」「ならば、やむおえない」「肝心の機能が大丈夫な間は活かそう」。などと考えた次善策だったのに、頭ごなしに叱られた。だから早速ガス業者に連絡し、熱弁をふるいたくなったようだ。

 後日、ガス屋から回答の電話があり、それは私が受けた。1080円で済む話に収められていた。そこで、今度は私が直接業者と応待したくなり、私なりの熱弁をふるおうとしたのだが、空振りに終わってしまった。

 この問題は随分前から始まっていた話しであって、ほんの小さな不具合が原因だった。先週、この問題に気付いた私に叱責され、妻はガス業者に連絡を入れた。ガス屋に訪ねてもらえた時の見立ては「案の定」の返答だった。「もう20年近くも使った機械です」「部品もない」「買い替えてください」「8万円です」だった。

 妻は、「今頃まだ、そんなことを言っているのですか」とプリプリした気分で環境問題や資源問題などから熱弁をふるったわけだ。だが、業者は「ちゃんと、メーカーも、このごろは資源リサイクルに力を入れていれているのですが」などとの屁理屈をいったという。そこで、妻は余計にカチンと来たのだろう。

 「なんとか、私がします」と業者を追い返した。なんとか自分の手で治したい。最悪でも、古樋を活かした延命策で、本体の寿命が尽きるまで活かせばよい、と妻は思ったようだ。だが、日常の多忙に追われ、気にかけながら延命策のままで放置していた。

 にもかかわらず、私に見とがめられてしまった。

 そうと事情を聴かされた私は、日本の企業社会のセンスを疑った。「こうしたやり方で、売り上げが8万円近く増えた」と喜びかねない企業経営者を許し、それがGDPを増やすわけだ、とたかをくくっていると見られかねない現政権のありように、底知れない不安と苛立ちを感じさせられた。そう思っていた矢先に、ガス屋から回答の電話があった。

 「部品が見つかりました」との週初めの、妻の留守中にかかった電話だ。「取り換えに行きます。1080円です」と、勝ち誇ったような声が続いた。業者は、妻の筋の通ったカチンを、立場を活かしてメーカーに伝え、部品保存期間法定外なのに、探させたのだろう。

 小さな部品だった。取り替えが済んだ後、外した方を(妻に見せたくて)残してもらうことにした。ちょうどそのときに、妻は出先から帰って来て、ガス屋と私の会話を立ち聞きし始めていたようだ。

 私は「1080円と言わずに」と、切り出した。「手間賃の1万円と1080円の計11,080円です、と言えるような会社にしてはどうか」と、つなごうとし始めたが、私の袖を引くものがあった。妻だった。それは、業者が「イイエ、結構です。ガス代で随分お世話になっていますから、1080円で」との返事を丁度し始めていた時の事だった。話しが咬みあいそうになり、と妻は見たのだろう。

 私もズルくなったものだ。そうと気付いた私は「ありがとうございました」と丁重に礼を言っただけで、じくじたる思いを噛みしめながら見送った。

 私は、次のような考え方にまで発展させたく思って話し始めていた。

 「この程度の部品の故障なら、わが社の技術部で充分に対応できます」との啖呵を切りたくなるような社員になれ。そして、そうした技術部をつくり、それを会社のウリにしよう、と会社に提案するのだ。

 そして顧客に、「新品に代えれば8万円ですが、わが社の修繕なら2万円で済ませられそうです」「また、お宅の機械の使い方なら、わが社の修繕部を活かしてもらえば、あと5年やそこらはこの機械を活かしてやってもらえそうに見立てます」と提案できる会社に、キミの手でしてみないか。

 環境の時代だけでなく、老齢化社会では必須のサービスだと思う。

 


古樋を用いた応急処置で済ませていた

小さな部品だった