これは私流アブストラクトの一例だ。小熊さんも、工業社会の弊害を嘆いている。人間を専業化や分業化によって分解し、スペシャリストと言えば聞こえがよいが、偏狭者を増やしてしまった、と見ているのだろう。それが、諸悪の根源、とお気づきなのだろう。そうした気持ちが生じた故に私は『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』を著したくなった、と言えなくもない。
この人の意見に触れ、私は改めて、心の底から生きる勇気を奮い立たせ、希望に満ち溢れた心にする復興支援とは何か、を問いただしたくなった。
311被災地でのインフラ整備で喜ぶのは誰か。莫大な税金の悪しき「分配策」のごとき実態になっているのではないか、などの勘繰りを誘う。被災者の真の救済を考えているのか、との疑問の気持ちが再燃した。だから改めて、なぜ大嘘(放射能のコントロールやブロックなど)までついて、オリンピックを招致したくなったのか、その心も知りたくなった。オリンピック問題はその後、お粗末続きだ。
医師であってNGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲さんは、「医療支援に替えて、今は灌漑事業が中心です」とアフガニスタンでの活動を紹介する。要は、対症療法に替えて予防医学(その原因の根絶)に取り組んでいる、との報告だ。
「最近はJICAの協力も得て事業を進めていますが、基本は日本での募金だけが頼り。これまで30億円の浄財を得て数十万人が故郷に戻れました。欧米の支援はその何万倍にもなるのに、混乱が収まる気配がない。これが現実なのです」と語る。
そして、次の1つの現実も次のように紹介した。「タリバーンは海外から悪の権化のように言われますが、地元の受け止め方はかなり違う」「そうでなければ、たった1万5千の兵士で全土を押さえられない。治安もよく、医療支援が最も円滑に進んだのもタリバーン時代です」。この見方は私に、ベトナム戦争を振り返らせた。
誰が、誰のために、何を護ろうとしているのか、いたのか、の問題だろう。
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