身勝手な国
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私は無知を恥じた。よい歳をして、このような国家の根幹ともいうべき事実を知らずに生きて来たとは、と無知を恥じた。同時にアキレタ。 民主国家としては決して在ってはならないことが、70年前に生じていたわけだ。あの敗戦を、新国家は反省材料にはしておらず、国民をないがしろにし続けていた、と言ってもよいわけだ。この度私は、初めてこの事実を知った。そして無知を恥じた。 もしこの報道が事実であれば、国民の一人として何とも恥ずかしい限りだ。この一事をもって、今も民主国家ではない、と思われてならない。ここまで「腐った国家とは」と思わせられた。それは一味の仕業か、国民の鷹揚さか、それとも国家の体質か。 この度、那覇地裁は「沖縄戦被害の賠償を、認めなかった」。理由は「戦前の憲法には、国家の責任を問う法律がない」だった。ここまでは、私にも分かっていたことだ。 「とはいえ、辛酸をなめさせた銃後の国民に対して、国家は何らかの償いをして当然ではないか」と、私は思っていた。それが民主化した国家のありようではないか、と思ってきた。いわんや、沖縄のように直接戦地になり、捨て石として犠牲にさせた沖縄県人には手厚い償いをすべきではないか、願ってきた。国家の必勝を信じさせ、投降を許さなかったのだから、少々の無理をしても、償うべきではないか、と思っていた。 それは、沖縄戦の総司令官も同様の想いであったはずだ。自決前に、異例の要請文を旧国家に届けている。旧国家が余力を得た時に、先ず行うべきは、沖縄県民に蒙らせた辛酸への配慮である、と血がにじむような思いで打たせたと思われる最後の要請が残っている。 にもかかかわらず、「戦前の憲法には、国家の責任を問う法律がない」で突っぱね続けてきたわけだが、そんなことでよいモノだろうか、と思い続けて来た。 この度も、同様の理由で突っぱねたわけだが、この度はその訴えの詳細にも目を通し、腰が抜けそうなほど驚かされ、嫌な気分にされ、無知を恥じた。 あの戦争は、職業軍人が、必勝を約束して国民と国家を巻き込んだ戦争、と総括してよいだろう。職業軍人が独走し、戦争といういわば賭け事に、国民の税金を投じたわけだ。金を投じさせただけでなく、国民の私有財産や生命まで投じさせたわけだろう。 もちろん、このカケに異を唱える人も大勢いた。そうした人は捕まえて、拷問死させている。徴兵で刈り出された兵士はさんざんいたぶられた。欧米では「日本軍の兵士は無類の勇猛果敢で忠実だが、将校はなっていない」が定評だ。その将校は、敗戦時まで贅沢三昧気味だったと言われている。もちろん、そうしたありように疑問をいだいた職業軍人もいたに違いない。そうした軍人は、職業軍人と言えども必死の戦地に送り込まれ、その多くは亡くなっている、とも聞かされたことがある。 推進派はそこまで好き勝手をして、戦争を長引かせ、いわばカケに負けている。大ばくちに負けている。過日、小泉元首相は、福島での講演で、その大ばくちのほどの一端を紹介していた。 「日本人というのはピンチをチャンスにしてきました。『昭和16年夏の敗戦』という都知事をやった作家時代、猪瀬直樹さんが今から30年前にそういう本を出した。『昭和20年夏の敗戦』なら分かるけれども、どうして『昭和16年夏の敗戦』なのかと思って読んでみた。 なるほど(と思った)。昭和16年夏、近衛内閣。アメリカときな臭くなってきた。『アメリカと日本が戦うと、どうなるのか。そのリポートを出せ』と。閣議決定をして、日本総力戦研究所というシンクタンクを作ったのです。そして、四ヶ月後、昭和16年8月、近衛内閣は閣僚の前でその結果を報告している。その資料を丹念に調べた本です。各省庁のエリート、有識者の30人くらいの研究員が結論を出した報告書を閣議で報告した。結論はどうだったのか。 『もし、アメリカと戦ったら日本は必ず負けます』と報告した。昭和16年8月。 しかし、『それは机上の空論だ』と言って無視された。昭和16年12月、真珠湾攻撃をして戦争に突入した結果、完敗ですよ」 国家存亡の危機を自ら作り出し、国民を窮地に追い込み、判断力を見失わせる。それは悪しきリーダーのやり口だ。その世界では、悪しき企みが横行し、仲間に巻き込まれる人を増やしもする。末端での好き勝手を放置し、一味に巻き込んでゆく。 その、度を超えた事例は枚挙にいとまがない。憲兵が、快く応じなかった従軍慰安婦をいかにいたぶり、殺したか、そうした事例も、聴いたこともある。文字にはできない内容だった。一通りいたぶり、次第に冷静になり、やがて面白半分になり、悶えあがき死なせていた。 敗戦時には、国民から徴収した財産や、溜め込んでいた食糧など膨大な物資があった。だが飢えていた国民に返す発想はしていない。逆に、生き残っていた職業軍人が主になって、いわば山分けにしたようなことになっている、と聴かされもした。 にもかかわらず、戦後、今日まで軍人軍属には何十兆円もの報奨金を支払ってきた。今も、払い続けている。ならば、沖縄戦に巻き込んだ県民や、学徒動員した若者はもとより、銃後の犠牲者にも、何らかの償いがあってもよいのではないか、さもないと片手落ちにならないか、と思ってきた。それが、旧日本が定めた法律であった、で済ませてよいモノだろうか、思い続けて来た。無知だった。無知を恥じた。 なんと、その軍人軍属への保証は、それを可能にした法律は、戦後になって造ったというではないか。この朝日の報道が事実でないことを祈りたいぐらいだ。読売新聞など、他の報道機関は、いかに報じたのか、知りたい、と思う。 報道機関の最大の役目は、少なくとも民主国家での報道機関の最大の役目は、国家の監視であろう。国家が横暴や不正などに走らないようにする監視役が使命だろう。一部の者が、悪しきカケに国や国民をかりたてたくなるような事態を2度と生じさせないために、尽力するのが報道機関の役目だろう。政権は、その声を謙虚に受け止め、襟を正し、民主国家を育まなければいけないはずだ。もちろん、事実に基づかないことを報道させて良いはずがない。だからと言って、報道の自由にいかなる制限も加えてはいけないはずだ。 |
朝日の報道が事実でないことを祈りたい |