もう1つの日本の起点

 

 香川は、徳島と山1つ隔てた隣県と言ってよいように思われるが、ここでも多々認識不足に気付かされ、反省することしきりだった。

 山1つ隔てた差なのに産物が大きく異なり、レンコン田がなく、溜池が多いことに気付かされた。「まだあと、(友人の家まで)どのくらいかかるのだろうか」と思っていた矢先に、初見の大きな花が咲く木を見た。通り過ごしてすぐに、なぜ「車を停めてほしい」と網田さん頼めなかったのか、と反省しながらオレンジ色のハンカチノ木?」と、首をかしげていると、みなれた一角にさしかかった。間もなく目的地、と分かった。

 車から「ヨシッ」と心に決めながら降りた。まず、友人の愛犬が声で迎えてくれた。次いで記憶に残ることは、空海だった。雨に恵まれた徳島と違い、雨に恵まれないことを知った空海は、1200年も前に数々の溜池を地域一帯につくらせていた。ただそうと知っただけで、得体のしれない何かを感じてしまい、唖然とした。

 友人白崎満智子さんのススメで、翌日の行動を変更した。元は、車で徳島に戻り、幾つかの神社などを訪れる予定であったが、それをキャンセル。

 平賀源内出所の地であったことも知った。初めて空海が四国善通寺の出であり、四国八十八カ所めぐりの発起人でもあったことも知った。高野山で知られる空海だが、あれほどの成果をわずか2年の中国留学で上げていたことも知った。それがこの地を、いわば、もう1つの日本の起点の 地にしたわけだ。

 翌早朝、初見の大きな花を、間近で見たくなり、散歩に出た。だが、なぜか先ず、いつものように脚は浜辺を目指していた

 帰路、「あの辺に」と思われる方向を目指し、その途中で、同種の花をける木を見つけた。花の色は一種ではなく、「この地域では、ありふれた木ではないか」とさえた。そして、近づき、吹き出した。「なんと」袋がけしたビワの木であった。

 まず、友人の家とは異なる角度から瀬戸内海を望んだ。次いで津田の松原を訪ねた。この地を、水戸黄門は幾度か(?)訪れていたようだ。豪商、板谷幸四郎の繁盛ぶりを、この地の盆踊りの歌詞「板谷の屋敷は箒はいらぬ、芸者女中の裾で掃く」で憶測した。

 道中でオリーブの木を見た。雨には恵まれていないが、それはオリーブを育んだようで、オリーブ製品の名産地でもあるようだ。

 平賀源内博物館や薬草園は、月曜日は休館・閉園。その墓参ですませた。86番札所、志度寺にあった。この地も、水戸と同様に薬草の名産地だと知った。

 88番札所、結願の寺、大窪寺も訪ねた。昼はこの門前で、讃岐ウドンを賞味した。この度で、1番札所と88番札所を訪れただけでなく、2つの日本の起点に気付かされ、「少し人生観を変えそうな旅になった」と思っていると、白川さんが「最中の餡抜きネ」と、笑った。その時に、道具学会での探検旅行を振り返った。

 それまでの旅行では、まるで玄関から客間に通されるような道のりで、その国を知り得たような気分になっていた。探検旅行では、勝手口から入り込み、台所、便所、あるいは寝所などにも踏み込み、覗き、むしろ玄関から客間の応対は、誤解の温床とさえ見るようになったが、それ以上の何かもありそうだ、と思い始めていた。だから、「最中の餡抜きネ」でヨカッタと思った。「餡抜きの最中ネ」でなくてヨカッタ。

 


溜池が多いことに気付かされた

オレンジ色のハンカチノ木?

空海だが、あれほどの成果をわずか2年の中国留学で上げていたことも知った

札所のジオラマ
 

脚は浜辺を目指していた

 

津田の松原を訪ねた

墓参

大窪寺も訪ねた