私は何事であれ、争い事が生じていたら、その善悪、損得などは別にして、ともかく力のバランスを保てるように弱い方に加勢したくなる。もちろんその上で、対等の立場で話し合ってもらい、善悪、損得などを確かめたくなる。よだんだが、弱い方が、全体の損であるような甘えをしていたら、その時点で関わりを避ける。
全体の損とは、例えば「最大多数の最大幸福」で言えば、最大多数の中に未来世代を入れていない考え方、など。
この性格から、この度もシリがモゾモゾすることが生じた。コンクリプールでキンギョが棲んでいることに気付いたからだ。天敵が狙い始めた。このままでは、キンギョがあまりにも弱い立場に見え始めた。
増水時期でない限り、コンクリプールの水位は下がり、10数cm程度の深さしかない状態になる。キンギョは天敵に襲われても立体的に逃げられず、すぐに捕まえられてしまう。
そうでなくとも、生き抜きにくい環境(要は自然淘汰を迫られる環境)で住まわせられている。現実に、10匹500円程度で買い求めた(熱帯魚などの餌用の)キンギョだが、10cmほどに育つまでに10分の1程度にまで減っている。その優性遺伝子を発揮して生き残りのキンギョだが、コンクリプールの環境はあまりにも過酷だ。
そこで「ここなら安全」という装置を設け、そこに隠れることを覚えたキンギョは生き延びられるようにしたい。それはサンクチュアリと呼んでよいだろう。
そのような想いから、手を付けたこのたびの作業だが、何故かその最中に2つのことが気になって仕方がなくなった。1つはテロ問題。もう1つは原発の再稼働問題。
その昔、ある若者は、ベトナムに攻め込んだアメリカを「テロ」と叫んだ。1968年2月のことだ。ベトナム反戦デモが西ドイツで生じたが、そのリーダーは「我々はあなたたちのテロ行為をやめさせてみせる」と叫び、世界中の若者の共感を呼んだ。ルディ・ドチュケだ。5月に、パリ5月革命が生じた。10月に新宿騒乱も生じた。若者は、善悪、損得は別にして、ともかく力のバランスを保てるように弱い方に加勢したくなっていたのではないか。私はそのように感じた。サンクチュアリを欠いた生きと生けるものには、ともかく手を差し伸べたい。それが、自然の世界での感覚だろう。
ドゴール大統領は「教えてくれ」と叫んだ。「中国やドイツが若者たちを操っているに違いない」と疑ったからだ。「これは世界的な陰謀だ。裏で手が動かない限り、こうした運動が同時に、様々な国で大爆発するはずがない」と思い込んでいた。
恥ずかしいことに、当時の私は多忙を極めるサラリーマンであり、この運動には参加できなかった。しかし、海外出向に出かけるようになっていた。だから恥ずかしいことに、ドイツのビヤガーデンで「イタリヤ抜きで、アメリカをやっつけられるようになろう」とメートルを挙げ、ポリスにつまみ出された。そこはヒトラーが旗揚げしたところであり、立ち上がってさわぐ事は禁止だった。
そのドイツでは、荒れ狂う若者は、第2次大戦での加害を徹底して追及し、個人補償に努める国家を支持するようになってゆく。それは、国家の国民への情報開示力の勝利だろう。今やドイツは欧州の優になっている。
アメリカはベトナムに破れ、ドゴールは去った。ベトナム戦で10万の若者を死なせたアメリカだが、復員した若者のうち。倍近くの人が自殺で命を絶っている。
片や日本、311の保証も済ませておらず、原因もキチンと突き止めておらず、類似事故再発時の逃げ場や逃げ方の保証もせずに、いたずらに再稼働を努めている。
これは憶測だが、東ドイツ出身であるメルケルさんは、きっとサンクチュアリの大切さと民を主とする主義の大切さであると認識しているのだろう。だから、311をキッカケに原発の全廃を決めたのだろう。
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